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あるかじんじゃ

有鹿神社
神奈川県 厚木駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

有鹿神社について

神葬祭(神道のお葬式)もできます。
相模国で最古の神社です。
パンダ宮司、ネギ禰宜が有名です。
7月14日が「例大祭」です。

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惣一郎
惣一郎
2021年05月20日(木)
1269投稿

有鹿神社(あるか~)は、神奈川県海老名市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。

創建は不詳。社伝によると、飛鳥時代の天智天皇3年(664年)に初めて祭礼を行い、奈良時代に藤原廣政により社殿の改修と寄進を受けた。この時期、相模国府が有鹿郷に所在したため、国司の崇敬を受け、祭礼が行われたとのこと。平安時代927年の『延喜式神名帳』には「相模国高座郡 有鹿神社」と記載されている。鎌倉時代には、幕府重鎮・海老名氏の手厚い庇護を受け、美麗な社殿と広大な社領を有していたとのこと。その後1333年の関東大兵乱により鎌倉幕府が滅亡、新田義貞の兵火により社殿・史料を焼失、社領も略奪された。1438年の永享の乱で海老名氏は滅亡、当社の再び兵火を被り衰微した。戦国時代に海老名高地の用水を守る「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として徐々に復興、1591年に徳川家康より朱印十石の寄進を受け、江戸時代の1622年には海老名郷の領主・高木主水の内室により社殿が復興された。海老名郷5村の総鎮守となった。

当社は、JR相模線、小田急小田原線、相鉄本線・海老名駅から西に1kmの相模川そば、河川敷の内側にある。周りは住宅街で、境内前の道はそこそこ交通量がある。境内地が3カ所あり、当地が本宮(鳩川の相模川への流入口域)、北に6kmの場所に奥宮(有鹿谷にある小祠、鳩川の水源の一つ)があり、0.6kmの場所に中宮(有鹿の池、鳩川の中間地点)がある。本宮は、少し大きめの<村の鎮守>サイズ。

今回は、相模国・式内社の1社ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には一組夫婦がいたぐらいだった。

有鹿神社の鳥居

境内入口にある<鳥居>と<社号標>。

有鹿神社の手水

鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。

有鹿神社の建物その他

鳥居をくぐってすぐ左側にある<鐘楼>。

有鹿神社の建物その他

参道の左側にある<参心殿>。シャッターが閉まっているが、建物右側に<神札授与所>と書いているので、授与所みたいなものか。

有鹿神社の本殿

本殿正面。

有鹿神社の本殿

拝殿正面。

有鹿神社の本殿

拝殿後ろの<本殿>。

有鹿神社の末社

本殿の左脇にある境内社。<諏訪社>、<稲荷社>、<日枝社>の表札がある。

有鹿神社の手水

本殿の左奥にある、古い手水盤と石柱。石柱には<相模国十三座...>と書いてある。

有鹿神社の本殿

社殿全景。

有鹿神社の建物その他

社殿の右側にある<社務所>。御朱印はこちら。

有鹿神社の末社

社務所の右側離れた場所にある<有鹿天神社>。

有鹿神社の末社

有鹿天神社の社殿。

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歴史

相模国の中原(チュウゲン)に位置する有鹿郷(現在の海老名市)の誕生と発展を物語る「総産土神」(ソウウブスナガミ)であり、神奈川県で最古の神社である。

生成期
 太古の昔、相模の土地は海底にあったが、次第に隆起し、森林を中心とした緑なす大地が形成された。縄文の頃より、有鹿谷にある豊かな泉は、水神として、人々の信仰の対象となった。この泉の流れ落ちる鳩川に沿って、農耕生活が発展し、有鹿郷という楽園が成立した。この郷の水田(海老名耕地)における農耕の豊穣と安全を祈って、「水引祭」が起り、有鹿神社はご創建されるに至った。

発展期
 奈良から平安初期まで、海老名耕地という大墾田を背景として、有鹿郷の中心に国府がおかれていた。国府の守護をする神社として有鹿神社は、霊験あらたかな神社であり、天智天皇三年(664)、国家的な祭礼を行い、また、延長五年(927)、延喜式の制定により、式内社に列せられた。広大な境内には美麗な社殿が建立されており、また、天平勝宝八年(756)、郷司の藤原廣政の寄進により、海老名耕地五百町歩が神領となった。

変動期
 有鹿神社は、貞観十一年(869)十一月十九日、従五位に昇階し、数次の昇階を経て、鎌倉の永徳元年(1381)、正一位の極位に達した。平安末期から室町中期まで、海老名氏と地名を名乗る武士団は、海老名耕地を支配するよりどころとして、有鹿神社を崇敬し、そのご神威にあたる国庁跡に居館をかまえていた。
 応永二十三年(1416)、海老名備中守持季(出家の後、宝樹沙弥)は、社殿を修理し、宮鐘を奉献した。しかし、室町の二度にわたる兵乱の災いを蒙り、海老名氏は滅亡し、有鹿神社も、美麗な社殿をはじめ、ことごとく灰燼に帰し、広大な社領も略奪された。

再生期
 天正三年(1575)、海老名耕地の用水を守る「水引祭」が復興し、相模国五之宮、海老名郷総鎮守として、海老名郷に属する上郷、河原口、中新田、社家、中野等の人々から崇敬されていた。天正十九年(1591)、徳川家康より、朱印十石の寄進を受け、また元和八年(1622)、海老名郷の領主高木主水の内室により社殿が再建された。

新生期
 明治六年(1873)、有鹿神社は、県社に列せられたが、海老名の総鎮守として郷社にとどまり、同四十三年(1910)、神饌幣帛料供進社に指定された。第二次大戦の後、宗教法人として、神社本庁の傘下に属する。氏子・崇敬社の崇敬心が篤く、宮鐘の再鋳

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有鹿神社の基本情報

住所神奈川県海老名市上郷1-4-41
行き方

海老名駅(小田急線・相鉄線・JR相模線) 西口より西へ徒歩15分程度(1.2km)

厚木駅(小田急線・JR相模線)より北へ徒歩16分程度(1.3km)

海老名IC(圏央道)より自動車で5分程度(2.2km)

アクセスを詳しく見る
名称有鹿神社
読み方あるかじんじゃ
通称おあるかさま お有鹿さま
トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号046-234-4763
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.arukajinja.jp/
SNS

詳細情報

ご祭神大日靈貴命、有鹿比古命、有鹿比女命
ご由緒

相模国の中原(チュウゲン)に位置する有鹿郷(現在の海老名市)の誕生と発展を物語る「総産土神」(ソウウブスナガミ)であり、神奈川県で最古の神社である。

生成期
 太古の昔、相模の土地は海底にあったが、次第に隆起し、森林を中心とした緑なす大地が形成された。縄文の頃より、有鹿谷にある豊かな泉は、水神として、人々の信仰の対象となった。この泉の流れ落ちる鳩川に沿って、農耕生活が発展し、有鹿郷という楽園が成立した。この郷の水田(海老名耕地)における農耕の豊穣と安全を祈って、「水引祭」が起り、有鹿神社はご創建されるに至った。

発展期
 奈良から平安初期まで、海老名耕地という大墾田を背景として、有鹿郷の中心に国府がおかれていた。国府の守護をする神社として有鹿神社は、霊験あらたかな神社であり、天智天皇三年(664)、国家的な祭礼を行い、また、延長五年(927)、延喜式の制定により、式内社に列せられた。広大な境内には美麗な社殿が建立されており、また、天平勝宝八年(756)、郷司の藤原廣政の寄進により、海老名耕地五百町歩が神領となった。

変動期
 有鹿神社は、貞観十一年(869)十一月十九日、従五位に昇階し、数次の昇階を経て、鎌倉の永徳元年(1381)、正一位の極位に達した。平安末期から室町中期まで、海老名氏と地名を名乗る武士団は、海老名耕地を支配するよりどころとして、有鹿神社を崇敬し、そのご神威にあたる国庁跡に居館をかまえていた。
 応永二十三年(1416)、海老名備中守持季(出家の後、宝樹沙弥)は、社殿を修理し、宮鐘を奉献した。しかし、室町の二度にわたる兵乱の災いを蒙り、海老名氏は滅亡し、有鹿神社も、美麗な社殿をはじめ、ことごとく灰燼に帰し、広大な社領も略奪された。

再生期
 天正三年(1575)、海老名耕地の用水を守る「水引祭」が復興し、相模国五之宮、海老名郷総鎮守として、海老名郷に属する上郷、河原口、中新田、社家、中野等の人々から崇敬されていた。天正十九年(1591)、徳川家康より、朱印十石の寄進を受け、また元和八年(1622)、海老名郷の領主高木主水の内室により社殿が再建された。

新生期
 明治六年(1873)、有鹿神社は、県社に列せられたが、海老名の総鎮守として郷社にとどまり、同四十三年(1910)、神饌幣帛料供進社に指定された。第二次大戦の後、宗教法人として、神社本庁の傘下に属する。氏子・崇敬社の崇敬心が篤く、宮鐘の再鋳

体験祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三傾聴御朱印お守り祭り

Wikipediaからの引用

概要
有鹿神社(あるかじんじゃ)は、神奈川県県央に流れる有鹿河(出典:『惣国風土記』による。現在の鳩川)沿いに形成された地域(有鹿郷)に鎮座する神社。奥宮は相模原市南区磯部に鎮座している。「お有鹿様」とも呼ばれる。一説には阿波の忌部氏が当地にて祖先を祀ったのがはじまりとされる[要出典]。 延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社(小社)とされ、さらに同国の五之宮ともされるが諸説ある。旧社格は県社格の郷社。 神社本庁包括下にあり、神奈川県神社庁に所属する神社である。現在、海老名の総氏神となっている。 寒川神社の由緒書に「有鹿老 (あるかのおゆ)」という「有鹿の先輩」「有鹿神社の方が由緒がある」という意味の記載がある。寒川神社ではその由緒書を亡失した(出典:『鷹倉社寺考』)。 この他、2017年6月10日にメディアに初登場したキャラクター『パンダ宮司』も有名である。
歴史
歴史[編集] .mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+lin...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] 以下は本宮までのアクセス情報である。 公共交通機関を利用する場合 小田急小田原線・JR相模線「海老名駅」西口より西側へ徒歩12〜15分ほど、また同じく両線「厚木駅」より北側へ徒歩18分ほど。 自家用車、タクシーを利用する場合 東京方面より国道246号線利用の場合、大和厚木バイパスの下今泉交差点を左折、県道51号線を南下し、突き当たりの河原口交差点を右折。直進し左へ大きくカーブしているクリーニング店のある交差点で右折。直進して正面が有鹿神社。駐車場は20台ほど駐車可能。
行事
祭事・年中行事[編集] 1月1日:歳旦祭 2月3日:節分祭・厄祓大祭 2月17日:祈年祭(産業祈願の祭) 4月8日:水引祭(遷座祭) 6月14日:水引祭(還御祭) 7月14日:例大祭 6月1日〜12月30日:七五三祈祷 11月23日:新嘗祭 12月22日:有福玉清祓祭 12月31日:師走大祓祭・年越祭 水引祭[編集] 水引祭(みずひきまつり)は、4月8日に本宮より奥宮傍の「有鹿窟」へ霊石を運び、6月14日に還御する「有鹿さまの水もらい」とも呼ばれる神事で[1]、一時は廃れたが現在復活している[2][3][4]。霊石が「有鹿窟」に安置されている約2ヶ月間、かつては鳩川の水の利用権が海老名周...Wikipediaで続きを読む
引用元情報有鹿神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%89%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100875048
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