やさかおおかみ
八坂大神神奈川県 鎌倉駅
いつでも参拝できます
鎌倉市扇ガ谷にある神社。福寿寺さんの隣にあります。
千葉常胤の息子で相馬家初代の相馬師常が建てた神社です。境内には社殿の他に小さな末社もありました。
鳥居
社殿
社殿
境内
由緒書
境内
記念碑
狛犬
末社
手水
22.12.06。鎌倉駅西口より徒歩10分。鎌倉市扇ヶ谷1丁目の寿福寺に隣接して鎮座。
御祭神 素戔嗚尊 桓武天皇
葛原親王 高望王
創建年 建久3年(1192年)
社格等 旧村社
例祭日 7月12日
【御由緒】
八坂大神は、牛頭天王が祀られていたことから「相馬天王」と称された扇ヶ谷の鎮守。相馬次郎師常が自邸(巽神社脇)の守り神として勧請したのが始まりとされる。
後に浄光明寺の裏山(綱引地蔵の西)に遷され、さらに寿福寺の本堂脇を経て現在の地に遷された。明治の神仏分離により「八坂大神」に改称(明治2年/1869年)。
観光客に人気の銭洗弁財天宇賀福神社は、昭和45年(1970年)まで八坂大神の末社であった。
~Webサイト「鎌倉手帳」より〜
本日は鎌倉の紅葉及び鎌倉33観音巡りをメインにウォーキング参詣(第二弾)。寿福寺の隣なのでまずは当社よりスタートです。
社務所はいつも無人なので、御朱印は無しと思われます。
鳥居
由緒
参道
狛犬(阿形)
(吽形)
拝殿
境内社 子神社(ねの〜)
八坂大神は、「相馬天王」と称された扇ヶ谷の鎮守。
相馬次郎師常が自邸(巽荒神脇)の守り神として勧請したのが始まりとされる。
のちに浄光明寺の裏山(網引地蔵の西)に遷され、
さらに壽福寺の本堂脇を経て現在の地に遷された。
明治の神仏分離により八坂大神に改称。
観光客に人気の銭洗弁財天宇賀福神社は、
1970年(昭和45年)まで八坂大神の末社だった。
八坂大神の例祭は7月12日
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< 境内の解説ボードから引用 >
建久3年相馬次郎師常、己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するのはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが、今では12日のみとなった。
中世御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め新たに調進したと傳へられる。
独特の六角神輿は宗社である京都祇園八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶應元年に社殿の改築が行われた。明治6年村社に列格される。
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< 神奈川県神社庁Webサイトからの引用:
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=422&cd=1205035 >
建久3(1192)年相馬次郎師常が自邸(巽神社の脇)の守護神として勧請したが、
後に網引地蔵の西の山麓に遷され、更に寿福寺本堂の脇を経て現在地に奉還された。
世俗に「相馬天王」と称され、爾来、扇が谷の鎮守として崇敬される。
享和元(1801)年及び慶応元(1865)年に改築があり、
明治2年神仏分離に際して「八坂大神」と改称、同6年村社に列格した。
中世、御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、
別に神輿を調進したと伝えられる。
独特の六角神輿は宗社たる京都八坂神社のそれを伝承したものである。
住所 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-13-45 |
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行き方 | JR横須賀線または江ノ島電鉄線「鎌倉駅」西口より、今小路を進み「寿福寺」手前までの徒歩約10分。 |
名称 | 八坂大神 |
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読み方 | やさかおおかみ |
通称 | 相馬天王 |
参拝時間 | いつでも参拝できます |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし(ただし、今小路沿いで ほぼ隣に公衆トイレがあります。) |
電話番号 | 046-822-0208(ただし、管理元神社「諏訪神社」横須賀市若松町3-17 の電話番号) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) /桓武天皇 ( かんむてんのう ) /葛原親王 ( くずはらしんのう ) /高望王 ( たかもちおう ) |
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創建時代 | 建久3年(1192) |
創始者 | 相馬師常 |
ご由緒 | 八坂大神は、「相馬天王」と称された扇ヶ谷の鎮守。
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体験 | 重要文化財武将・サムライ |
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