けんちょうじ|臨済宗建長寺派|臣福山
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神奈川県 鎌倉市 山ノ内 8 に境内を構える、巨福山 建長興国禅寺(こふくさん けんちょうこうこくぜんじ) 当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に鎌倉三十三ヶ所観音霊場他にて他にて 何度か参拝致しました、鎌倉五山 第一位 禅宗の寺院、けんちん汁 発祥の地で境内は広く 国宝 や文化財、歴史的建築物と見所が沢山在り 紅葉時も寺院との景色は素晴らしい物でした、寺院対応も 窓口があり 大寺院で在る事に驕らず 丁寧 スムーズです、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 巨福山、寺号は 建長興国禅寺、宗旨 宗派は 臨済宗 建長寺派、寺格は 大本山、ご本尊は 地蔵菩薩、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第二十八番札所(千手観世音菩薩)鎌倉二十四地蔵尊霊場 第九番、第十一番札所、
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は中国・宋末のからの渡来僧、禅僧・蘭渓道隆(大覚禅師)当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた。
創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山 心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は建長寺の仏殿に千体地蔵とともに安置されています。この本尊にまつわり〝済田地蔵〟の話が有名です。無実の罪で斬首されようとした済田佐衛門金吾は、日ごろ信仰していた一寸八分の地蔵尊の身代わりで救われました。そのかわり、地蔵の背にはくっきりと刀傷がのこりました。左衛門は感謝して小像を心平地蔵の頭中におさめ、さらに建長寺が創建されると、仏殿本尊の胎内に移しました。現在は玉塔に納まり別に安置されています



24.06.17。先の円応寺より徒歩2分。鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の大本山。
寺格 大本山、鎌倉五山第一位
山号 巨福山(こふくさん)
寺号 建長興国禅寺
創建 建長5年(1253年)
開基 北条時頼
開山 蘭渓道隆
本尊 地蔵菩薩
札所 鎌倉三十三観音霊場
第二十八番
鎌倉二十四地蔵尊霊場
第九番・十番
弘法大師相模二十一ヶ所
霊場第四番
【寺の開創】〜当寺HPより〜
建長7年(1255)に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当時はわが国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。(中・後略)
今回は、弘法大師相模霊場として参詣。又山内の塔頭寺院等にも目を向けて参詣。広い境内には見頃の紫陽花も観賞できて満足でした。
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