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はちまんざんかんのんじ|真言宗智山派八幡山

八幡山観音寺
神奈川県 新横浜駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

玉川八十八ヶ所霊場第82番札所
新四国東国八十八ヶ所霊場第24番札所

八幡山観音寺について

八幡山観音寺は、安土桃山時代に創建されたと伝わる、400年以上の歴史を持つ新横浜の古刹です。
新横浜駅・菊名駅から徒歩数分の立地にありながら、豊かな自然が残っています。
境内には本堂や不動堂・講堂・稲荷社・十三重石塔といった諸堂があり、参道の大銀杏(横浜市指定名木)は紅葉の時期に必見の名木です。
【御朱印】は①十一面観音②玉川八十八ヵ所霊場③東国八十八ヵ所霊場④不動明王の計4種類を授かることが出来ます。
また、本堂内で参拝することが可能で、受付時にお経が書かれたパンフレットをいただくことができます。
毎月第4日曜日には「お護摩」が勤修され、だれでも無料で参加することができます。

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こばけん
こばけん
2022年09月28日(水)
1097投稿

22.09.26。横浜市営地下鉄/JR横浜線「新横浜駅」より徒歩12分。横浜市港北区篠原町にある真言宗智山派の寺院。

山号 八幡山

院号 金剛法院

寺号 観音寺

創建 不詳

本尊 十一面観世音菩薩

札所 玉川八十八ヶ所霊場 
   第八十ニ番
   新四国東国八十八ヶ所霊場 
   第二十四番

【歴史】〜HPより〜
 当山は開山から現在までこの篠原の地で仏法の灯明を絶やすことなく、数多の善男善女の信仰を集め続けるお寺です。創建年代については諸説あり、正確な年代は定まっていません。天正年間(1573〜1591)祐學和上によって開基されたとの一伝がありますが、これは『新編武蔵風土記』
に紹介されるものです。

 しかし、当山の鎮守の八幡宮(現•篠原八幡神社)における別当寺としての性格も考慮する必要があります。八幡宮の創建時期は鎌倉期と推察されますから、観音寺の歴史も天正を遡ることは十分に予見できます。(中•後略)

 新横浜駅裏手の坂のある閑静な住宅街にあり、お寺も境内は静かで清掃が行き届いており、また丁寧な対応もあり気持ち良い参詣でした。

八幡山観音寺の御朱印
八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺の御朱印
八幡山観音寺(神奈川県)

寺院方向への案内看板

八幡山観音寺(神奈川県)

六地蔵尊

八幡山観音寺(神奈川県)

寺号標

八幡山観音寺(神奈川県)

本堂 

八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺の本殿

内陣

八幡山観音寺の建物その他

不動堂

八幡山観音寺の建物その他

内陣

八幡山観音寺(神奈川県)

二宮尊徳の石像

八幡山観音寺の仏像

幸福観音

八幡山観音寺の地蔵
八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺(神奈川県)
八幡山観音寺(神奈川県)

寺務所
御朱印を書き入れ頂いている間、本堂と不動堂の中に上げて下さリ参拝しました。又内陣の撮影も許可頂きました。

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歴史

八幡山観音寺は、安土桃山時代の天正18年(1590)に、権大僧都祐覺和上が開山したと伝えられています。開山年については異説が多く、鎌倉時代から存在したという記録もあります。しかし、多くの資料が明治時代に焼失したため、正確な歴史は不明です。
明治維新まで、観音寺は隣接する若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)と杉山神社(現在の岸根杉山神社)の別当寺を務めていました。別当寺とは、神社を管轄する寺院のことで、観音寺では住職が神官を兼ねて2つの神社の管理を行っていました。
江戸時代までは今のように寺院と神社が明確に区別されず、一体として独自の信仰を形成することが多々ありました。これを「神仏習合」と言います。特に八幡宮の祭神である八幡大菩薩(八幡大神)は、古くから仏教化が進んでいました。八幡大菩薩は仏教を守護し、仏教寺院は八幡大菩薩のために読経供養をするという相互関係が生まれていたのです。観音寺もこのような神仏習合の一部として創建されたものと思われます。
江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、観音寺について「本堂五間ニ六間。本尊十一面観音坐像六寸バカリナルヲ安ズ」と記されていて、現在も本尊として伝わる十一面観音坐像は、ここに記される当時のものであると推測されます。
また、不動堂に祀られている秘仏の不動明王立像は、元和6年(1618)に「庚申講」の本尊として造立されました。
その他、観音寺では寺子屋が催され、これが新横浜近隣の近代教育の礎となりました。
明治時代になると、観音寺は「神仏分離令」によって八幡宮・杉山社と境内を区別することとなり、「上地令」によってほとんどの土地を失いました。重ねて明治15年(1882)には謎の出火により、わずかな仏像や仏画、過去帳などの書物を残してすべての堂宇が焼失しました。
長い間、廃寺同然となって正式な住職を欠いていた観音寺は、大正時代に第19代住職として隆超和上(後の川崎大師平間寺43世貫主)が晋山し、ようやく仮本堂と庫裏が再建されました。
太平洋戦争中には、すでに川崎大師貫主となっていた隆超和上が川崎大師の本尊「厄除け弘法大師」ならびに宝物を観音寺に疎開さたことが知られています。川崎大師は川崎大空襲でほぼ全焼の大被害を受けましたが、この疎開により本尊や宝物は守られ、今に伝わっています。
戦後には隆超和上の弟子の隆侃和上が昭和52年(1977)に現在の本堂を再建し、さらに平成9年(1997)には不動堂が、平成25年(2013)には講堂が落慶し、観音寺は往時の姿を取り戻しました。

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八幡山観音寺の基本情報

住所神奈川県横浜市港北区篠原町2777
行き方

新横浜駅(東海道新幹線/JR横浜線/横浜市営地下鉄/東急新横浜線/相鉄新横浜線)篠原町方面2番出口より徒歩7分
菊名駅(JR横浜線/東急東横線)西口より徒歩13分

アクセスを詳しく見る
名称八幡山観音寺
読み方はちまんざんかんのんじ
参拝時間

参拝可能時間
9:00~16:00

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ寺務所内にあり。※身体障がい者用トイレもあり。
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号045-431-1434
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスhachimanzan-kannnonji@y2.dion.ne.jp
ホームページhttps://www.hachimanzan.jp/
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巡礼の詳細情報

玉川八十八ヶ所霊場

第82番

御本尊:十一面観音

詳細情報

ご本尊本堂   十一面観世音菩薩
不動堂  秘仏不動明王
     ※毎月第4日曜日御開帳
講堂   十一面観世音菩薩
鎮守   稲荷大明神
山号八幡山
院号金剛法院
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代1590年(天正18年)
開山・開基権大僧都祐覺
文化財

大銀杏(横浜市指定名木)

ご由緒

八幡山観音寺は、安土桃山時代の天正18年(1590)に、権大僧都祐覺和上が開山したと伝えられています。開山年については異説が多く、鎌倉時代から存在したという記録もあります。しかし、多くの資料が明治時代に焼失したため、正確な歴史は不明です。
明治維新まで、観音寺は隣接する若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)と杉山神社(現在の岸根杉山神社)の別当寺を務めていました。別当寺とは、神社を管轄する寺院のことで、観音寺では住職が神官を兼ねて2つの神社の管理を行っていました。
江戸時代までは今のように寺院と神社が明確に区別されず、一体として独自の信仰を形成することが多々ありました。これを「神仏習合」と言います。特に八幡宮の祭神である八幡大菩薩(八幡大神)は、古くから仏教化が進んでいました。八幡大菩薩は仏教を守護し、仏教寺院は八幡大菩薩のために読経供養をするという相互関係が生まれていたのです。観音寺もこのような神仏習合の一部として創建されたものと思われます。
江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、観音寺について「本堂五間ニ六間。本尊十一面観音坐像六寸バカリナルヲ安ズ」と記されていて、現在も本尊として伝わる十一面観音坐像は、ここに記される当時のものであると推測されます。
また、不動堂に祀られている秘仏の不動明王立像は、元和6年(1618)に「庚申講」の本尊として造立されました。
その他、観音寺では寺子屋が催され、これが新横浜近隣の近代教育の礎となりました。
明治時代になると、観音寺は「神仏分離令」によって八幡宮・杉山社と境内を区別することとなり、「上地令」によってほとんどの土地を失いました。重ねて明治15年(1882)には謎の出火により、わずかな仏像や仏画、過去帳などの書物を残してすべての堂宇が焼失しました。
長い間、廃寺同然となって正式な住職を欠いていた観音寺は、大正時代に第19代住職として隆超和上(後の川崎大師平間寺43世貫主)が晋山し、ようやく仮本堂と庫裏が再建されました。
太平洋戦争中には、すでに川崎大師貫主となっていた隆超和上が川崎大師の本尊「厄除け弘法大師」ならびに宝物を観音寺に疎開さたことが知られています。川崎大師は川崎大空襲でほぼ全焼の大被害を受けましたが、この疎開により本尊や宝物は守られ、今に伝わっています。
戦後には隆超和上の弟子の隆侃和上が昭和52年(1977)に現在の本堂を再建し、さらに平成9年(1997)には不動堂が、平成25年(2013)には講堂が落慶し、観音寺は往時の姿を取り戻しました。

体験祈祷お祓い仏像御朱印お守り花の名所有名人のお墓札所・七福神巡り法話

Wikipediaからの引用

概要
観音寺(かんのんじ)は、横浜市港北区篠原町にある真言宗智山派の寺院。山号は八幡山(はちまんざん)。十一面観音菩薩を本尊とし、長く若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)の別当寺を務めた。少なくとも安土桃山時代には創建されていたと推測されている。玉川八十八ヶ所霊場第82番札所、新四国東国八十八ヵ所霊場第24番札所に指定されている。通称:八幡山観音寺。
歴史
歴史[編集] 開創[編集] 寺伝によれば、観音寺は1590年(天正18年)に権大僧都祐覺によって開山されたという。しかし、『新編武蔵風土記稿』には、「天正十八年ノ開基ナル由寺僧ノ伝エナリ。サレド当寺ノ過去帳ニ権大僧都祐覺天正十壬午年十二月十七日ト云ヲ載タリ。モシコノ人ナド開山ナランニハ寺僧ノ伝ヘシ年代モ極メテ疑ウベシ」[1]と記されていて、少なくとも1582年(天正10年)以前にはすでに開創されていたと推測される。 また、『神奈川県神社誌』には観音寺が別当を務めた鶴崎八幡宮(現在の篠原八幡神社)について「建久三年(一一九二)九月、武蔵国橘樹郡鈴木村の鎮守として、同村字会下谷に勧請奉斎し...Wikipediaで続きを読む
引用元情報観音寺 (横浜市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA%20%28%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82%29&oldid=101798782
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