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玉川八十八ヶ所霊場

弘法大師
専用御朱印
巡礼中568人

概要

弘法大師信仰は宗派を超え、無数の信者により全国各地に本四国八十八ヵ所を模した豊場札所が開設されている。玉川八十八ヵ所もその一つである。
この札所の開創がいつかは、はっきりしない。江戸時代の宝暦年間ともいい、天保、弘化年間ともいいずっと降って明治中期であるともいう。宝暦のころの四郡 (荏原、多摩、橘樹、都筑)八十八ヵ所が改称されたものだともいうが、証拠となる料は全く無いと聞いている。開創者も不明である。
明らかなのは、日清・日露の戦争後には年間相当数の巡拝者で賑わったということである。札所の分布が東京都内(大田区・世田谷区中心)56か寺、神奈川県川崎市22か寺、横浜市10か寺と多摩川に沿った両岸に広がっているため、東京在住の巡拝者が多かったようである。しかしこのブームも明治末期にはほとんど廃れてしまったらしい。
大正に入り、東京市区の森寅吉氏、神田須田町で三野野本店を経営する池田氏なとか中心となって大正5年(1916)に「永楽講」が結成され、広く市民に呼びかけて、当霊場復興に力を入れた。当時の多摩川沿岸は風光も良く参拝を兼ねた散策には案外最適であったのであろう。88ヵ寺を8ブロックに分け、巡拝者は毎月決まった日時に定められた場所に自由に集合し、もちろん徒歩で巡拝して回った。各寺へは、講名による御詠歌の扁額も奉納されている。
この永楽講の働きにより札所は再び復興して昭和に及んだが、第二次世界大戦に入って再度巡拝者は絶え、戦後各寺は戦災による堂宇の復興にのみ専心しなければならなかった。
昭和48年(1973)に弘法大師御誕生1200年を迎えるに当たり、その2年前の46年に第1番札所川崎大師平間寺では札所の再復興を願の1つとして取り上げた。玉川八十八ヵ所興隆委員会を設置し、事務局を平間寺に置いて、関東大震災と戦災によって相当数に上る失滅と異動のあったものを、霊場主総員の協力を得て整理し、諸種の設備を調えて再出発したのである。
霊場の名称も旧来「多摩川八十八ヵ所」であったのだが、三多摩地区に「多摩八十八ヵ所」があるので、昔から多摩川を「玉川」とも書くし、また弘法大師御入定の高野山奥ノ院を流れる川が「玉川」であるところから、まぎらわしさを避けて「玉川八十八ヵ所」と改称されることとなった。
48年には八十八ヵ寺が大開帳を行い、各寺はバスを連ねて巡手の団参を行った。以後またこの霊場は開光を浴び、日々参拝者をお迎えしている今日である。
しかし「御府内八十八ヵ所」と同様に、札所寺院が密集した市街地に多いため、個人で巡る場合は乗り物の便がよい反面、大型バスによる巡拝は困難である。団体はマイクロバスを利用する方がよい。全部を徒歩で回ると8日間かかる。
札所は全寺真言宗で、それぞれが数百年の歴史と由緒とを有する古刹である。
案内地図は霊場事務局で発行したものが札所各寺に備えられているから、どの寺でも入手できる。納経は、たとえ住職が不在でも受けられるようになっている。
なお、霊場事務局は平間寺内に在り、不明の点はいつでもお問い合わせ願いたい。

引用:巡拝事典

基本情報基本情報

札所数札所数:88
かかる時間徒歩:8日間
事務局玉川八十八ヶ所霊場会
連絡先平間寺 044-266-3420

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