じょうかんざんごくらくじ|臨済宗円覚寺派|上関山
上関山 極楽寺公式神奈川県 富士フィルム前駅
拝観時間:9時から16時半(土日祝の午前中は法要を行っている場合がございます。予めご了承ください)
じょうかんざんごくらくじ|臨済宗円覚寺派|上関山
拝観時間:9時から16時半(土日祝の午前中は法要を行っている場合がございます。予めご了承ください)
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
---|---|---|---|
御朱印 | ●極楽寺本堂の中央に安置されている「「釈迦如来坐像」の切り絵御朱印。仏像がまとっているユニークな袈裟の色にちなんだワインレッドが、厳かな雰囲気をかもしだしています。
| ||
限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | 全ての御朱印が、お書入れ、書き置き、どちらにも対応可能です。 | ||
郵送対応 | - | ■申し込み方法
| |
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり、約15台(無料) |
御朱印を頂きました。
とても親切に対応していただきました。
目の前で書いて頂き、お話もさせてもらい、お寺の事も知れてすごく勉強になりました。
話しやすく、とてもわかりやすく話してくださるご住職でした。
ぜひまた行きたいです!
御朱印もすごく綺麗です!桜が散っていたので散る桜の印を押してくださいました。
大雄山線「和田河原駅」下車徒歩20分。臨済宗寺院。ご本尊は釈迦如来像です。
1344年開創、仏満禅師大喜法折大和尚が開基です。
暑い中のお参りでしたが、緑が多く禅宗らしく静かな寺院です。
そういえば、今年は梅雨明けが早かったという事もあってか、蝉時雨がまだ聞いていないような・・・。
そんな雰囲気が伝わってきます。
山門をくぐると、緑の回廊を進んでいきます。
由緒書です。
天神堂
菅原道真を祀る合格祈願や学業成就にご利益があるそうです。
鐘楼堂です。
境内には枯山水の庭園があります。
これだけでも避暑にはうってつけです。
十一面観世音菩薩です。
本堂です。現在のお堂は、昭和初期に再建されたものです。
正式名称は「上関山極楽寺」。鎌倉円覚寺を本山とする臨済宗円覚寺派の禅寺です。1344年開創。開山(寺を開創した僧侶)は仏満禅師大喜法祈大和尚、開基(寺の創建に尽力した資主)はその弟、今川範国です。
はじめ「定慧山極楽寺」という法相宗の寺があったのを仏満禅師が禅寺と改め、百丈禅師(中国唐代の禅僧)の木像を安置し「百丈山極楽寺」と改名しました。その後、足利尊氏による寺院の建立や寄進があり、開山の弟子、極楽寺2世である季高禅師が「上関山極楽寺」と改めました。尊氏により寺格が高められ、関所より上の位を表し「上関山」としたという逸話がありますが書物等の記録には残っていません。
開山、仏満禅師の顔が描かれた書物はありません。極楽寺には開山の木像が現存しています。「平生一笑春風面」と称されたように、開山の木像は満面に笑みをたたえ、温情溢れる顔つきをしています。
その反面、開山は「平生の気宇万夫の雄」として、勇猛な心もちを讃えられました。そこには、足利氏の支流今川基氏の5人兄弟の四男として生まれた、武門今川家の血筋が感じられます。仏満禅師はその後、出家して太平和尚の弟子になり、禅の修行を積み、師の法を継ぎました。その名声は徐々に天下に聞こえ、有名な鎌倉五山の浄智寺(34世)、円覚寺(30世)、建長寺(40世)で住職を務め、また多くの寺を開創しました。極楽寺を含めその数は14寺です。1368年、師匠である太平和尚の祥月命日である9月24日、続燈庵後の絶壁に造っておいた岩窟にこもり、坐禅をして、弟子や後世のために詩を残し、入定(高僧が亡くなること)しました。入定から650年となる2018年秋、円覚寺管長、横田南嶺老大師のもと、開山仏満禅師六百五十年遠忌が厳修されました。
大雄山最乗寺は、1394年、了庵禅師により開山された曹洞宗の禅寺です。最乗寺の建立中、了庵禅師は極楽寺を宿としていました。その縁から、入寺式(住職として寺に入る際の儀式)や開山忌(開山の祥月命日に行う儀式)は、宗派を超え、互いに招請し合う関係を築いています。
了庵禅師は極楽寺に安置されていた百丈禅師の木像が亡き師匠にそっくりであったことに心を打たれ、最乗寺開山後も、朝になると遠い山道を極楽寺まで下り、木像を拝み、また最乗寺に戻っていきました。これを見ていた当時の極楽寺2世季高禅師は「それほどまでに厚く信心されるのなら差し上げましょう」と、この木像を最乗寺に寄進しました。
たなかだいこうほうてん
役職:
住職
1973年、兵庫県姫路市の日本酒蔵に生を受けました。世界一のソムリエである田崎真也氏に薫陶を受けてワインの道に入り、ホテル西洋銀座のソムリエに29歳の若さで抜擢されます。その後、ワイン輸入商社勤務を経て、アジア最大のワインスクール、アカデミー・デュ・ヴァンへ入社。ワイン講師として教鞭を執りつつ、同社の専務取締役として教育事業ならびにワイン輸入販売事業を立ち上げ、上場会社に売却するまでに成長させることができました。2017年4月得度。臨済宗大本山円覚寺派専門道場(鎌倉市)に掛塔し、横田南嶺老師の下で修業、三年半を過ごしました。2022年10月から、神奈川県南足柄市にあります臨済宗円覚寺派 上関山極楽にて住職を務めています。
僧侶としての私の名は「大耕法典」といいます。極楽寺の住職は「法」をつけるのが習わしであり、それに実の父の名から「典」をもらい「法典」となりました。「大耕」は修行先であった円覚寺の老大師より頂戴しました。頂いた時、フランスでワイン造りをした頃を思い出しました。毎日畑に入り葡萄の世話をする過酷な肉体労働でした。中でも一番辛いのが畑を耕す作業です。トラクターを使わず、馬と人で畑を耕すには、膨大な手間と時間が掛かります。しかし、そうやって耕された土地では、樹齢が長くなるほど、葡萄樹は大地にしっかりと根を張り、その土地の活力を反映したような、凝縮された強い葡萄を実らせます。その葡萄で作ったワインは香り、味わい共にスケールの大きさを感じさせ、飲む人の目に、その土地の風景までもを映し出します。心の拠り所が本当に必要になってきた困難な今だからこそ、大老師から頂いた「大耕」という名が示すように、ゆっくり時間をかけて多くの人々の心を耕し、実りある人生を過ごす手助けをしていきたいと強く思っております。
住職の手書きによる「仏法如大海」という禅語が印刷された封筒に、ちょっとしたお菓子を入れてお渡しいたします。
「仏法如大海」とは「ぶっぽうたいかいのごとし」と読みます。自分の命は両親をはじめ数多くのご先祖様により繋がれてきたものであり、一人でも欠けていたら今の自分は存在しません。それは奇跡であり、宇宙の法則、大自然の法則、すなわち仏法です。命に感謝することが仏法に沿うことでもあります。
住所 | 神奈川県南足柄市狩野782 |
---|---|
行き方 | 【電車でお越しの方】JR小田原駅から大雄山線「富士フィルム前」下車、徒歩約10分
|
名称 | 上関山 極楽寺 |
---|---|
読み方 | じょうかんざんごくらくじ |
通称 | ごくらくじ |
参拝時間 | 拝観時間:9時から16時半(土日祝の午前中は法要を行っている場合がございます。予めご了承ください) |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 本堂と書院にございます。 |
御朱印 | あり ●極楽寺本堂の中央に安置されている「「釈迦如来坐像」の切り絵御朱印。仏像がまとっているユニークな袈裟の色にちなんだワインレッドが、厳かな雰囲気をかもしだしています。
|
限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | あり 全ての御朱印が、お書入れ、書き置き、どちらにも対応可能です。 |
御朱印の郵送対応 | なし ■申し込み方法
|
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0465-74-2150 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@gokurakuji-jokanzan.or.jp |
ホームページ | https://gokurakuji-jokanzan.or.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 御本尊「釈迦如来坐像」 1717年、鎌倉の仏師、後藤政義により造立。極楽寺の本尊(寺の中央に安置されるもの)は釈迦如来坐像です。釈迦如来とは仏教の開祖である釈迦を仏として敬う呼び名です。釈迦は古代インドにあった小国の王子で妻と子もいた実在の人物です。 釈迦がまだ太子の頃、王城の東西南北4つの門から郊外に出かけ、それぞれの門外で老人、病人、死者、修行者に出会いました。老い、病、死という人生の苦しみを痛感すると同時に世俗の苦を離れた修行者の姿に感銘を受け、29歳で出家しました。その後6年間に厳しい修行を積み、35歳で悟りを開いたといわれています。釈迦如来坐像はその釈迦が悟りを得た姿を表しています。 |
---|---|
山号 | 上関山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
創建時代 | 1344年 |
開山・開基 | 開山(寺を開創した僧侶)は仏満禅師大喜法祈大和尚。開基(寺の創建に尽力した資主)はその弟、今川範国 |
ご由緒 | 正式名称は「上関山極楽寺」。鎌倉円覚寺を本山とする臨済宗円覚寺派の禅寺です。1344年開創。開山(寺を開創した僧侶)は仏満禅師大喜法祈大和尚、開基(寺の創建に尽力した資主)はその弟、今川範国です。 はじめ「定慧山極楽寺」という法相宗の寺があったのを仏満禅師が禅寺と改め、百丈禅師(中国唐代の禅僧)の木像を安置し「百丈山極楽寺」と改名しました。その後、足利尊氏による寺院の建立や寄進があり、開山の弟子、極楽寺2世である季高禅師が「上関山極楽寺」と改めました。尊氏により寺格が高められ、関所より上の位を表し「上関山」としたという逸話がありますが書物等の記録には残っていません。 開山、仏満禅師の顔が描かれた書物はありません。極楽寺には開山の木像が現存しています。「平生一笑春風面」と称されたように、開山の木像は満面に笑みをたたえ、温情溢れる顔つきをしています。 その反面、開山は「平生の気宇万夫の雄」として、勇猛な心もちを讃えられました。そこには、足利氏の支流今川基氏の5人兄弟の四男として生まれた、武門今川家の血筋が感じられます。仏満禅師はその後、出家して太平和尚の弟子になり、禅の修行を積み、師の法を継ぎました。その名声は徐々に天下に聞こえ、有名な鎌倉五山の浄智寺(34世)、円覚寺(30世)、建長寺(40世)で住職を務め、また多くの寺を開創しました。極楽寺を含めその数は14寺です。1368年、師匠である太平和尚の祥月命日である9月24日、続燈庵後の絶壁に造っておいた岩窟にこもり、坐禅をして、弟子や後世のために詩を残し、入定(高僧が亡くなること)しました。入定から650年となる2018年秋、円覚寺管長、横田南嶺老大師のもと、開山仏満禅師六百五十年遠忌が厳修されました。 大雄山最乗寺は、1394年、了庵禅師により開山された曹洞宗の禅寺です。最乗寺の建立中、了庵禅師は極楽寺を宿としていました。その縁から、入寺式(住職として寺に入る際の儀式)や開山忌(開山の祥月命日に行う儀式)は、宗派を超え、互いに招請し合う関係を築いています。 了庵禅師は極楽寺に安置されていた百丈禅師の木像が亡き師匠にそっくりであったことに心を打たれ、最乗寺開山後も、朝になると遠い山道を極楽寺まで下り、木像を拝み、また最乗寺に戻っていきました。これを見ていた当時の極楽寺2世季高禅師は「それほどまでに厚く信心されるのなら差し上げましょう」と、この木像を最乗寺に寄進しました。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏祈祷お祓い結婚式七五三御朱印お守り人形供養花の名所有名人のお墓除夜の鐘法話 |
Youtube | |
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0