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いがみじんじゃ

居神神社

神奈川県 箱根板橋駅

参拝自由
御朱印受付は午前9時から~午後5時

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0465-23-2616

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

国道一号線より境内に入り、一の鳥居の内側に数台駐車できます

巡礼

旧小田原城下三大明神

居神神社について

壮絶な伝説


『新編相模國風土記稿』によれば、主祭神三浦荒次郎義意の首が遠く三浦半島から飛んできました。その首は井神の森の松の木に引っかかり、三年後に成仏させた時に「永く当所の護り神となるべし」と声が聞こえたので、その松の下に創建されたのが居神神社と言われています。ただ現在その松と思われる木はありません。

御創建五百年


令和二年(2020)、居神神社は御創建五百年の節目を迎えました。
記念事業として、参道石畳の張り替えと社殿周辺の整備が行われました。
本来ならば七月に創建五百年祭として、記念式典と記念神輿渡御が行われる予定でしたが、コロナ禍により今年の開催を断念。一年後にはなってしまいますが、令和三年に執り行われる予定です。

荒神様の暴れ神輿


三浦荒次郎義意は生前とても荒々しい人だったとされ、例大祭で本社神輿はとても荒々しく担がれます。
神輿は明治二十一年に小田原藩最後の宮大工香川文造高之が手がけた近隣にはない八棟素木造のとても立派なものです。
例大祭は5月4日5日に開催され、本社神輿が担がれるのは5日と北條五代祭り(5月3日)です。特に5日は昼、荒久海岸(早川河口)にて神輿が海に入る「お浜降り」が行われます。
また、担ぎ方は「小田原流」という小田原独特の担ぎ方です。

おすすめの投稿

郷土士
2022年09月12日(月)
1投稿

           小田原の居神神社参詣、創建五百年の歴史を偲ぶ

  居神(いがみ)神社(旧・居神明神社、小田原市城山)は、我が国唯一の神社名であります。令和2年に、創建五百年(小田原北條二代氏綱時代の永正十七年(1520)創建)を迎えましたが、コロナ禍により未だに五百年祭が延期されています。
  そこで、コロナ禍終熄を願って境内を丁寧に参詣したところ、改めて創建五百年の歴史を感じさせられたことから、そのことをお知らせします。なお、( )内に記す図版・写真等は、本文終了後にまとめて収載しています。

   1、一ノ鳥居境内を参詣           (図版①、居神神社境内略図)
   2、二ノ鳥居境内を参詣
   3、本殿境内を参詣          (写真・図版等は、クリックすると拡大します)
    おわりに

 1、一ノ鳥居境内を参詣      (写真②、居神神社一ノ鳥居)
 東海道(国道1号線)を西に下ると、板橋見付手前右側に居神神社はある。一ノ鳥居から神社境内に入ると、社号標柱「居神神社」の裏面に、「大正八年一月/板橋青年會建之」の刻銘がある。     
 その右(東側)にある神社説明板は、三浦荒次郎義意公を祭神として祀り、明治時代に木花咲那姫命(このはなさくやひめのみこと)と、火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)を合祀し、鎌倉時代末期の古碑群が小田原市の重要文化財に指定され、北條氏綱公時代の永正十七年(1520)創建が判明したことから、「勝って兜」碑が建設された、等々が説明されている。北條氏の地元小田原に、敵将となった「三浦義意公」を祀っており、神社創建に氏綱公の関与(支援)が言われている。            
 一ノ鳥居境内は数台の駐車場を兼ね、二ノ鳥居への石段手前左側の鞘堂内に、子安地蔵尊が安置されている。平成30年6月に発見された『子安地蔵尊由緒下書』に、「大古(往古カ)は居之大明神」とあった。永正十七年(1520)の創建当初が偲ばれる。    (写真③、子安地蔵尊)
 冒頭に「我が国唯一の神社名」と記したが、「居神」は『広辞苑』等にはない。『日本書紀』に、「居之神」や「居神」が記されていることを知り、調べたことがある。その際、神社名鑑等の公式資・史料にはないが、ネットで淡路島の南あわじ市福良に「居神明神社」が記されているのに気づき、同地を訪ねた。結果、正式名称は「丹生明神社」で、地名「居神」から地元の人たちが「居神明神社」と通称していたことが判明した。詳細は拙ブログで記している。
 「子安地蔵尊」を参拝して、二ノ鳥居への石段左右鎖の手すり最初の石柱の刻銘に気付く。左「奉 三十區青年會」、右「納 わかくには 神の末なり神まつる/昔の手ふり忘るなよゆめ」と、明治天皇御製の和歌が刻まれている。

 2、二ノ鳥居境内を参詣               (写真④、二ノ鳥居)
 12段程の石段を上ると二ノ鳥居境内で、鳥居には「延宝五丁巳年八月吉日、貞正寺諸氏子尭門代」の刻銘がある。延宝五年(1677)は、次項本殿境内で述べる文化財指定等の古碑群を除くと、当神社最古の年号刻銘である。
 鳥居を入った右側に、役目を終えた溶岩石(安山岩か)と思える手水鉢は、正面に「奉納」、右側面に「板橋邑 若者一同」、左側面に「文化十四丁丑年(1817)一月」と刻銘されている。その左奥が、社務所である。
 境内左側(西側)の女坂上り口の石灯籠は、「元禄四辛未年/石燈籠二基/九月吉日」が左右共に刻銘され、この2基は元禄十五年(1702)十二月の赤穂浪士吉良邸討入りを知っている。 (写真⑤、元禄石燈籠2基)
 そして、二ノ鳥居境内左側に我が国最初の水道「小田原早川上水」の、府内への安定供給を祈願する「水神社」がある。居神神社前が府内上水の起点である。同「上水」敷設は、天文十四年(1545)二月の連歌師・谷宗牧の紀行文『東国紀行』に記され、氏綱の町づくりによる敷設が想定されている。      (写真⑥、水神社)
 また、二ノ鳥居境内には平成29年12月24日建設の「勝って兜」碑もある。氏綱による当明神社創建が推定され、三代氏康に遺した『北條氏綱置文』に記された「勝って甲~」が、我が国最初と言われることから碑が創建された。裏面に、ご奉賛いただいた71名皆様のお名前が刻まれている。         (写真⑦、「勝って兜」碑)
 北條氏綱の、明神社創建関与が想定されることから建設された石碑である。 

 3、本殿境内を参詣       (写真⑧、拝殿・本殿)
 本殿は十八世紀後期頃の建立で、脇障子の欄間等に三浦氏と居神神社の丸に三引紋があり、高欄擬宝珠(ぎぼし)には「弘化三丙午歳(1846)六月吉日前東泉院閑居當寺鑑住雄岳叟寄附」の刻銘がある(神奈川縣近世社寺建築調査報告書)。東泉院(曹洞宗、小田原市久野)の十三世雄岳元英(安政六年(1859)十一月二十九日示寂)と判明する(曹洞宗文化財調査目録解題集)。 
 庭松寺に「鑑住」とあるが、「還住」であろうか。『東泉院記』等によると、同寺創建は居神明神社の翌大永元年(1521)に、久野総世寺七世大休宗恵の開山としている。氏綱の関与はあったのであろうか?        
 拝殿・幣殿は神輿作製で後述する香川文蔵による明治12年再建という。拝殿参拝を終えて本殿に向って右側を左廻りに拝観を続ける。令和二年に拡張された御影石参道の右側(東側)に、明治百年を記念して昭和43年に再建の「神楽殿」がある。例年5月3~5日の祭典の際は公開されているが近く、創建五百年祭の催事の準備が進められているという。                   (写真⑨、神楽殿)
 その左に「金刀比羅神社」がある。神社前の「香炉」は右から「奉・丸に三引紋・納」の刻銘がある。神社に香炉は、神仏混淆時代の名残りであろう。また、この建物は実業家で茶人の益田孝の要望で、別荘「掃雲台」に建立の「松ヶ丘神社」を移設したとの村上宮司の説明である。        
 同神社の右隣に可愛い石祠の「稲荷」(高さ86㎝)があり、新久の道路脇から付近住民のご要望で移設されたと宮司は言われている。      (写真⑩、金比羅神社と、右奥に石祠の稲荷)
 金刀比羅神社の左奥(北側)が「八幡神社」で、その左右石灯籠の石柱正面に「奉納 御神燈」が刻まれ、右面に「享和三癸亥年」、左面に「十二月吉祥日」、裏面に「塚原邑/釜島屋孫太郎/甼内/駿河屋吉左衛門」とある。これまでの燈籠等の寄進者は全て板橋村と山角町の住人で、他町村にしても小田原府内ではなく足柄上郡の塚原村民で、豪商を思わせる釜島屋や駿河屋も興味深い。また村に「甼内」とは、どういうことであろうか? 同村小字名にも「甼内」は見えないが…      (写真⑪、八幡神社と石燈籠)
 拝観を済ませて本殿の裏を廻ると鎌倉時代末期7基の古碑群で、右端に説明板がある。右端の2基を除いた5基が、昭和32年3月31日に小田原市重要文化財に指定されている。右から4基目の文保元年(1317)と、6基目の元亨二年(1322)の時代刻銘のある2基は、当市街地に残る石碑では最も古く、今から700年ほど前、鎌倉時代後期の板碑で根府川石製の板碑では最古であるという(市史銘二)。いずれも「念仏衆が供養を行った旨」の願文が刻まれている。他の3基は、記銘年不記であるが陽刻五輪塔1基と線刻五輪塔2基である。   
 以上7基の古碑は、居神神社近辺の道路脇に散在していた塔碑を、境内に移設したと言われている。                   
  (写真⑫、小田原市小田原市文化財指定の古碑群)
 次いで、前記古碑群の南側(左)に6基の石碑群がある。右から「念仏塔」・「正一位稲荷大神」・「陽刻庚申塔」・「笠付陽刻庚申塔」・「杉苗植樹記念碑」で、他にも「石碑台石」と「石塔の最下部」が確認できる。詳細は拙ブログ(その36)を参照されたい。
 石碑群の南側に「神輿堂」(神輿格納庫)がある。『新編相模国風土記稿』は、神輿巡行を居神明神社(現・居神神社)創建の翌年から隔年実施を記している。
 この神輿巡行路に、小田原城馬出門で同明神社宮司の祈祷を記している。町や村の神輿が定期的にお城に巡行するのは極めて珍しく、私の調べた限り他例は見えない。同明神社創建に、小田原城主北條氏綱公の関与が推定され、同明神社の北條家への御礼巡行が言われている。   (図版⑬、「風土記稿」が記す推定神輿巡行路)
 神輿堂の南側は鞘堂内に「聖徳太子堂」があり、本殿境内を一巡したことになり女坂を下ると、左側に「居神の森 厄除不動明王(やくよけふどうみようおう)」石像がある。その向かい側に「小御嶽 大天狗/大権現/石尊 小天狗」、裏面に「天保十四癸卯年六月朔日建之」と「大権現/ 石尊」とある。その隣に「土中出現大日尊由來石」と刻す石碑と、手水鉢の西側に「大尊土中出現之跡」碑を見て、二ノ鳥居境内に戻って来る。
 社務所に立ち寄れば、その場で同神社祢宜様直筆の「御朱印」を求めることができる。日本最古の水道・早川上水の「水神社御朱印」もある。  (写真⑭⑮、居神神社と同水神社の御朱印)

 おわりに
 本「ホトカミ」は、ブログ「郷土士の歴史探究記事」(その63)を、「ホトカミ」用に簡略化してまとめたもので令和2年の参詣です。従って、記している境内社や石碑等は江戸時代設置のものを主に記しました。前記ブログは、現存する設置物は全て記していますので、ご興味をお持ちの方は、ブログもお読みいただければ嬉しいです。      郷土士

居神神社(神奈川県)

①居神神社境内略図

居神神社(神奈川県)

②一ノ鳥居

居神神社(神奈川県)

③子安地蔵尊

居神神社(神奈川県)

④二ノ鳥居

居神神社の建物その他

⑤元禄石燈籠2基(女阪上り口)

居神神社(神奈川県)

⑥「早川上水」の府内への安定供給を願う「水神社」

居神神社(神奈川県)

⑦北條氏綱を偲ぶ「勝って兜」碑

居神神社(神奈川県)

⑧拝殿・本殿

居神神社(神奈川県)

⑨神楽殿

居神神社(神奈川県)

⑩金比羅神社と石祠の稲荷(右奥)

居神神社(神奈川県)

⑪八幡神社と石燈籠

居神神社(神奈川県)

⑫小田原市文化財指定の古碑群

居神神社(神奈川県)

⑬居神神社の神輿巡行路

居神神社(神奈川県)

⑭居神神社御朱印

居神神社(神奈川県)

⑮居神神社の水神社御朱印

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例祭・神事

1月1日     歳旦祭
2月11日    祈年祭
3月最終日曜日 学業成就祭
5月4日     例大祭
5月5日     例大祭(神幸祭)
9月11日    小祭
11月23日    新嘗祭
12月31日    除夜祭

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歴史

居神神社由緒

永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。

新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。
永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。
敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。
2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。

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居神神社の基本情報

住所神奈川県小田原市城山4-23-29
行き方

箱根登山線箱根板橋駅 徒歩5分
小田原駅より箱根方面行きバス 板橋見附バス停より徒歩1分
小田原駅より徒歩20分
小田原西ICより車で6分

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名称居神神社
読み方いがみじんじゃ
通称居神さん
参拝時間

参拝自由
御朱印受付は午前9時から~午後5時

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0465-23-2616
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://igamijinja.com/
おみくじあり

詳細情報

ご祭神三浦荒次郎義意公
木花咲耶姫命(明治四十三年 大窪村『浅間神社』より合祀)
火之加具土神(明治四十三年 大窪村『秋葉神社』より合祀)
創建時代1520年(永正17年)
札所など

旧小田原城下三大明神

文化財

居神神社境内の古碑群(小田原市指定重要文化財)

ご由緒

居神神社由緒

永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。

新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。
永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。
敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。
2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。

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Wikipediaからの引用

概要
居神神社(いがみじんじゃ)は、神奈川県小田原市の旧小田原宿、板橋口(上方口)近くに鎮座する三浦荒次郎義意公を主祭神に祀る神社。 氏子地域は、南町の一部(旧山角町)と板橋(旧板橋村)。旧東海道である国道1号線に面し、光円寺に隣接する。場所柄、海・港に近く漁師が多いことに加え、石屋、畳屋などの職人も多く、祭礼の際は居神流と呼ばれる荒々しい担ぎ方をする神社である。境内には小田原市重要文化財に指定された古石碑群がある。
歴史
由緒[編集] 居神神社の創建に関わる史料は、旧記を焼失した関係で170年以上も前から永正年間に創建と伝えられてきたが、最近、永正17年(1520年)に居神神社が創建されたという記述が発見され、創建された年がわかった。 三浦氏は桓武平氏の流れをくむ名族で、三浦半島を本拠に相模の太守として権勢を振るっていたが、明応4年(1495年)伊勢新九郎盛時(北条早雲)が小田原城を謀略によって落とした頃より対立し始める。相模平定を狙う早雲の軍勢によって、永正9年(1512年)三浦道寸義同の居城である相州岡崎城、続いて住吉城と落とされ、追われた義同は、子息 三浦荒次郎義意(弾正少弼)の守る三崎新井城に籠る...Wikipediaで続きを読む
行事
祭礼[編集] 1月1日 歳旦祭 2月11日 祈年祭 3月最終日曜日 学業成就祈願祭 5月4日 例大祭 5月5日 例大祭、神幸祭 9月11日 小祭(しょうさい) 11月23日 新嘗祭(にいなめさい) 12月31日 除夜祭
引用元情報居神神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=84712023

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