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いがみじんじゃ

居神神社の御由緒・歴史
神奈川県 箱根板橋駅

ご祭神三浦荒次郎義意公
木花咲耶姫命(明治四十三年 大窪村『浅間神社』より合祀)
火之加具土神(明治四十三年 大窪村『秋葉神社』より合祀)
創建時代1520年(永正17年)
ご由緒

居神神社由緒

永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。

新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。
永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。
敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。
2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。

歴史
由緒[編集] 居神神社の創建に関わる史料は、旧記を焼失した関係で170年以上も前から永正年間に創建と伝えられてきたが、最近、永正17年(1520年)に居神神社が創建されたという記述が発見され、創建された年がわかった。 三浦氏は桓武平氏の流れをくむ名族で、三浦半島を本拠に相模の太守として権勢を振るっていたが、明応4年(1495年)伊勢新九郎盛時(北条早雲)が小田原城を謀略によって落とした頃より対立し始める。相模平定を狙う早雲の軍勢によって、永正9年(1512年)三浦道寸義同の居城である相州岡崎城、続いて住吉城と落とされ、追われた義同は、子息 三浦荒次郎義意(弾正少弼)の守る三崎新井城に籠る...Wikipediaで続きを読む
引用元情報居神神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=96082035

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