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いがみじんじゃ

居神神社
神奈川県 箱根板橋駅

参拝自由
御朱印受付は午前9時から~午後5時

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

国道一号線より境内に入り、一の鳥居の内側に数台駐車できます

その他の巡礼の情報

旧小田原城下三大明神

居神神社について

壮絶な伝説


『新編相模國風土記稿』によれば、主祭神三浦荒次郎義意の首が遠く三浦半島から飛んできました。その首は井神の森の松の木に引っかかり、三年後に成仏させた時に「永く当所の護り神となるべし」と声が聞こえたので、その松の下に創建されたのが居神神社と言われています。ただ現在その松と思われる木はありません。

御創建五百年


令和二年(2020)、居神神社は御創建五百年の節目を迎えました。
記念事業として、参道石畳の張り替えと社殿周辺の整備が行われました。
本来ならば七月に創建五百年祭として、記念式典と記念神輿渡御が行われる予定でしたが、コロナ禍により今年の開催を断念。一年後にはなってしまいますが、令和三年に執り行われる予定です。

荒神様の暴れ神輿


三浦荒次郎義意は生前とても荒々しい人だったとされ、例大祭で本社神輿はとても荒々しく担がれます。
神輿は明治二十一年に小田原藩最後の宮大工香川文造高之が手がけた近隣にはない八棟素木造のとても立派なものです。
例大祭は5月4日5日に開催され、本社神輿が担がれるのは5日と北條五代祭り(5月3日)です。特に5日は昼、荒久海岸(早川河口)にて神輿が海に入る「お浜降り」が行われます。
また、担ぎ方は「小田原流」という小田原独特の担ぎ方です。

例祭・神事

1月1日     歳旦祭
2月11日    祈年祭
3月最終日曜日 学業成就祭
5月4日     例大祭
5月5日     例大祭(神幸祭)
9月11日    小祭
11月23日    新嘗祭
12月31日    除夜祭

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歴史

居神神社由緒

永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。

新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。
永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。
敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。
2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。

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居神神社の基本情報

住所神奈川県小田原市城山4-23-29
行き方

箱根登山線箱根板橋駅 徒歩5分
小田原駅より箱根方面行きバス 板橋見附バス停より徒歩1分
小田原駅より徒歩20分
小田原西ICより車で6分

アクセスを詳しく見る
名称居神神社
読み方いがみじんじゃ
通称居神さん
参拝時間

参拝自由
御朱印受付は午前9時から~午後5時

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0465-23-2616
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://igamijinja.com/
おみくじあり

詳細情報

ご祭神三浦荒次郎義意公
木花咲耶姫命(明治四十三年 大窪村『浅間神社』より合祀)
火之加具土神(明治四十三年 大窪村『秋葉神社』より合祀)
創建時代1520年(永正17年)
文化財

居神神社境内の古碑群(小田原市指定重要文化財)

ご由緒

居神神社由緒

永正17年(1520)の創建、現在の小田原市板橋と南町一部地域の鎮守様です。

新編相模國風土記稿によれば、主祭神三浦荒次郎義意公には壮絶な伝説があります。
永正13年(1516)に北条早雲によって滅ぼされた相模三浦氏の最後の当主で、自らが自刃した時に首が天高く舞い上がり、やがて小田原井神の森の古松に引っかかった。そのまま3年間腐らずに通行人を睨みつけ、道中を通る人は の中には気絶する人、酷いと死んでしまう人もいた。名だたる名僧が供養しても一向に成仏せず、松の木から首を取ろうとした北条家の人はことごとく死に至ったという。そこで久野総世寺四世の忠室和尚が読経し「うつつとも 夢とも知らぬ ひと眠り 浮世の隙を 曙の空」と一句手向けると首はたちまち白骨化し松の木から落ちました。その時空から「我これより禍転じて福となし永く当所の守り神とならん」と声が聞こえ、そこで松の下に祠を作り三浦荒次郎義意の御霊を祀った事が居神神社の創始と言われています。
敵国の武将を自国(当時、北条家のお膝元であった小田原の地)に祀る例は極めて稀であり、神社創建の翌年、大永元年(1521)には神輿の渡御が始まり、小田原城でも祈祷を行なっていたとされている。これは時の小田原城主北条氏綱の三浦荒次郎義意に対する哀悼心も創建に一役買ったと言われています。
2020年(令和2年)に居神神社創建500年の節目を迎える運びとなりました。

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Wikipediaからの引用

概要
居神神社(いがみじんじゃ)は、神奈川県小田原市の旧小田原宿、板橋口(上方口)近くに鎮座する三浦荒次郎義意公を主祭神に祀る神社。 氏子地域は、南町の一部(旧山角町)と板橋(旧板橋村)。旧東海道である国道1号線に面し、光円寺に隣接する。場所柄、海・港に近く漁師が多いことに加え、石屋、畳屋などの職人も多く、祭礼の際は居神流と呼ばれる荒々しい担ぎ方をする神社である。境内には小田原市重要文化財に指定された古石碑群がある。
歴史
由緒[編集] 居神神社の創建に関わる史料は、旧記を焼失した関係で170年以上も前から永正年間に創建と伝えられてきたが、最近、永正17年(1520年)に居神神社が創建されたという記述が発見され、創建された年がわかった。 三浦氏は桓武平氏の流れをくむ名族で、三浦半島を本拠に相模の太守として権勢を振るっていたが、明応4年(1495年)伊勢新九郎盛時(北条早雲)が小田原城を謀略によって落とした頃より対立し始める。相模平定を狙う早雲の軍勢によって、永正9年(1512年)三浦道寸義同の居城である相州岡崎城、続いて住吉城と落とされ、追われた義同は、子息 三浦荒次郎義意(弾正少弼)の守る三崎新井城に籠る...Wikipediaで続きを読む
行事
祭礼[編集] 1月1日 歳旦祭 2月11日 祈年祭 3月最終日曜日 学業成就祈願祭 5月4日 例大祭 5月5日 例大祭、神幸祭 9月11日 小祭(しょうさい) 11月23日 新嘗祭(にいなめさい) 12月31日 除夜祭
引用元情報居神神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101875412
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