うでづかじんじゃ
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兵庫県明石市にある神社です。
山陽電鉄の高架すぐ横にあります。
平清盛は 都を一時神戸の福原に遷したことから 神戸や明石には 平氏にゆかりのある寺社が多くありますが こちらもその一つです。
滅亡した後祀られているということは こちら方面の方々にとっては慕われる存在だったのでしょう。
教科書で学ぶと 「平氏にあらずんば人にあらず」などと どうやねん?的な方ですが 歴史的な人物は多角的に見なければならないと思いました。
明石観光協会さんが紹介されています。
寿永3(1184)年 一の谷の戦で敗れた清盛の末弟 平忠度が 源氏の武将・岡部六弥太忠澄と川をはさんで戦ったことから両馬川と呼ばれるようになりました。
この戦いで 忠度は右腕を切り落とされ もはやこれまでと 念仏を唱え討たれました。
両馬川旧跡の近くには 忠度の右腕を埋めた腕塚神社や 忠度の亡骸を埋葬した忠度塚が残っています。
とありました。

小さな神社です

祠だけの本殿


由緒書

由緒書

住宅と駐車場の間にあります
平忠度御祭神「腕塚神社」
人丸前駅より南に出てすぐの狭い道沿い。
駐車場ない。駅前に時間貸しあり。
写真で納まるほどの小さな神社。
古そうな玉垣で囲われ、「史蹟腕塚神社」の石標に、本殿。本殿に由緒が掛けられてた。
狭いながら由緒板と石碑あり。
平忠度は、清盛の異母弟。
一ノ谷の戦いに敗れ逃れるが、源氏軍の岡部六弥太に追いつかれる。
六弥太の郎党に右腕を切り落とされ、もはやここまでと念仏を唱えて討ち取られたとされる。
その腕を埋葬し祀ったのが腕塚神社と言われる。
近くには忠度の亡骸を埋葬したとされる「忠度塚」がある。




授与品
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寿永三年(1184)2月7日、一の谷の合戦に敗れた西軍の大将忠度は此処の両馬川で源氏の岡部忠澄主従と闘って負傷したところであり切り落とされた右手に怨念が残り、腕や腰の痛みになやむ人々の信仰がある。
歴史をもっと見る|| 名称 | 腕塚神社 |
|---|---|
| 読み方 | うでづかじんじゃ |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》平忠度 |
|---|---|
| ご由緒 | 寿永三年(1184)2月7日、一の谷の合戦に敗れた西軍の大将忠度は此処の両馬川で源氏の岡部忠澄主従と闘って負傷したところであり切り落とされた右手に怨念が残り、腕や腰の痛みになやむ人々の信仰がある。 |
| 体験 | 武将・サムライ |
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