うんせいじ|曹洞宗|月江山
雲晴寺
兵庫県 人丸前駅
人丸前を左回りに一周氏、最後の寺院がここ曹洞宗の寺院。
ご本尊は釈迦牟尼仏です。
JR線と山陽電車の線路沿いにあり、住宅地の中にある小さな寺院ですが、古くは茶室があったりと広い境内を擁していたそうです。
創建は慶長年間、代々明石藩の家臣の菩提を弔っておりました。
明石藩藩主大久保忠職と姉の桃源院が里見忠義の菩提を弔うために拡げました。
彼は、南総里見八犬伝のモデルとなった人物です。
また裏手には、宮本武蔵が造営した庭園がありました。大空襲で全てが消失、戦後埋め立てられましたが、平成15年の発掘で一部遺構が出てきて復元されました。
見どころの多い寺院です。
仁王門、金剛力士像がお出迎えです。
門を支える「鬼」が縁の下の力持ちになっています。
門を入ってすぐの地蔵菩薩。江戸時代のものとされています。
宮本武蔵が造営した庭園の復元です。
庭園には、愛知の豊川稲荷から分祠されたお稲荷さんがあリマス。
七福神さんです。
本堂です。
曹洞宗 月江山 雲晴寺
ほぼ一年ぶりの参拝です。
前回はまだ明るい時間でしたが、今回は日が暮れかけていたため山門の金剛力士像のライトアップも映えてとてもきれいでした。
ただ時間が遅かったため境内に立ち入るのは遠慮し、山門前で手を合わせるにとどめました。
境内には「南総里見八犬伝」のモデルとなった里見忠義夫妻の供養碑や、宮本武蔵作の庭(復元)があります。
もともと別の寺院があり、慶長18年(1613年)に本堂をわら葺きから瓦葺きに葺き替え、雲晴寺の開山に利用されたそうです。
明石藩主大久保忠職公とその姉桃源院が、寛永16年(1639年)、里見忠義公の菩提を弔うため雲晴寺の伽藍を整備し寺領を増やしたとのこと。
本堂裏には宮本武蔵作の庭があったそうですが、昭和20年の大空襲により山門以外は焼失し、庭も戦後の復興事情により埋められてしまったとか。
2003年の新本堂建設に伴う発掘調査で広い庭であったことが判明。
現在は元の庭をいかして復元されたものです。
さらに伊藤博文のゆかりのお寺でもあるそうです。
慶応2年(1866年) 長州藩士の伊藤博文が明石藩の動静を探るために明石に派遣され、この雲晴寺に滞在したそうです。
当時の雲晴寺住職は、長州藩の武士出身だったそうですよ。
山門(仁王門)
本堂
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