刑部大神
兵庫県 山陽姫路駅
姫路城大天守の最上階に祀られている。御祭神は姫路刑部大神、播磨富姫神。
元々の刑部神社は姫路城が現在の姫山に築城される以前から鎮座していたが、天正8年(1580)頃に羽柴秀吉により城が改修されると播磨国総社(射楯兵主神社)の摂社として遷座された。
次いで姫路城を大改修した池田輝政が病に倒れると『お社を無理矢理遷座した祟り』とされ、再び城内の搦手『との三門』内に遷座された。
寛永16年(1639)に松平氏が藩主となり、再度城下(立町)へ移され、慶安2年(1649)に榊原氏が入城すると城内の社殿を再建、城内と城下の二社併存となった。
現在も姫路城の守護神として、火災や災害等に霊験あらたかとされている。
姫路刑部大神は延喜式に、富姫神は播磨国大小明神社記に記され、古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神である。城主池田輝政が、城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手厚く崇敬する。寛永元年(1748)城主松平明矩のとき長壁大神と改める。
明治十二年(1879)総社に移されたが、のち勧請され店主楼上に祀る。
明治十五年城内備前屋敷の火災、昭和二十年七月三日(1945)大空襲には、奇蹟的に炎上を免れた。
姫路城の守護神であり、火災・災害等にご霊験あらたかで、人びとの信頼が篤い。
毎年六月二十二日、ゆかた祭りとしてご神徳をたたえる。
名称 | 刑部大神 |
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ご祭神 | 姫路長壁大神,播磨富姫神 |
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ご由緒 | 姫路刑部大神は延喜式に、富姫神は播磨国大小明神社記に記され、古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神である。城主池田輝政が、城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手厚く崇敬する。寛永元年(1748)城主松平明矩のとき長壁大神と改める。
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体験 | 武将・サムライ伝説 |
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