みなとがわじんじゃ
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楽しみ方湊川神社のお参りの記録一覧

神戸市中央区にある神社です。
ホトカミでも何度も投稿されている神社ですね。
大倉山付近のお寺で正成公の話題に触れたのでお詣りしたくなりましたので足を延ばしました。
JR神戸駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
大きな街道沿いにあり 表門は遠くからでもよく分かる立派な門です。
神戸の三大神社の一つと言われています。
主祭神は楠木正成公で 地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。
表門のすぐ横には 大楠公御墓所があります。
こちらには楠木正成墓碑と それを見守るような徳川光圀公銅像があります。
光圀公と関係のある神社だと分かりますね。
創建は1872年(明治5年)で どちらかと言えば新しいのです。
明治天皇の令により創建された神社いうことになります。

社号の石柱でかいです

表神門

燈籠に菊の紋

明治天皇御製

目の前は太い街道

神門の扁額

境内すぐの案内

まずは墓所から

手水舎

楠木正成墓所

墓碑

小さく見えますか?

小さくないですよ

亀の上に墓標

水戸光圀像

大楠公御碑賛

版刷り 魚拓みたい

説明

境内案内図

大楠公御一代記

一の鳥居は境内の中

大きいです

アップで撮るとわかりにくいですね

拝殿が見えます

手水舎

備前焼の色です


かなり大きいです

狛犬3対目

前足が伸びて背筋ぴん

拝所

神事?

日常のお務めのようです


拝殿横から

こちらにも手水

楠木正成戦節地

説明

こちらには入れません

茶室のような

その前の庭

青山国蔵

献奉の酒樽

親子さざれ石

説明

社務所

神能殿

背後に雲がかかって 何かの暗示?

会館

【遠征参拝】
関西万博遠征参拝の7ヶ所目のトリは、神戸の湊川神社を参拝。今回の遠征で一番行きたかった神社です。
わが地元から直線距離で約500km離れた神戸の地で、水戸光圀公の銅像を拝観できて本当に良かったです。何となく湊川神社と常磐神社は密接に繋がっているという気がしてなりません。
拝殿を参拝後、授与所で直書きの御朱印を2枚拝受しました。
これにて関西万博遠征参拝の第一弾を無事に終え、神戸空港から茨城空港まで飛行機で一気に帰還しました。
来シーズン葵のエンブレムを胸にした我が街のプロサッカーチームがJ1昇格を果たした暁には、第二弾、第三弾の遠征参拝ができたら嬉しいな。

質実剛健な雰囲気の神門

楠木正成公御墓所

水戸光圀公の銅像

神戸らしい気品が漂う拝殿

神仏霊場参拝巡り 兵庫編⑨
神仏霊場兵庫5番
湊川神社⛩️へ参拝🙏
智・仁・勇の三徳を備え聖人と仰がれた南北朝時代の名将、楠木正成公をお祀りする神戸の名社です😊漫画の「逃げ上手の若君」を読んでるので来たかった神社です😊

社号標

隋神門

鳥居⛩️

手水舎

拝殿

拝殿

神仏霊場御朱印500円

楠木稲荷神社

拝殿

拝殿

くるくるきよせんさんの投稿に感化されて、仕事で神戸に行った時に参拝。
神戸駅からこんなに近いとは思わず、行けてなかった。
広大な境内にも関わらず、むちゃくちゃ綺麗で良かった。
楠木正成様の墓所もありがたくお詣りさせてもらった。
また家族で行かせてもらいます!


鳥居

拝殿

ご本殿

天満神社

天満神社ご本殿

稲荷神社鳥居

楠本稲荷神社

楠本稲荷神社内


御由緒

境内地図

由緒書き

神戸市中央区にある神社です。
JR神戸駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
大きな街道沿いにあり 表門は遠くからでもよく分かる立派な門です。
神戸の三大神社の一つと言われています。
お宮参りや七五三など 本当に多くの参拝者が参られます。
結婚式も明治42年(1909)から行われています。
主祭神は楠木正成公で 地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。
表門のすぐ横には 大楠公御墓所があります。こちらには楠木正成墓碑と それを見守るような徳川光圀公銅像があります。光圀公と関係のある神社だと分かりますね。
創建は1872年(明治5年)で どちらかと言えば新しいのです。明治天皇の令により創建された神社いうことになります。
歴史についてはネット情報です。
楠木正成は 延元元年(1336年)5月25日 湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。
寛永20年(1643年)に尼崎藩主となった青山幸利は 領内に正成の戦死の地を比定し供養塔を立てた。
幸利の自ら定めた墓所もこの周辺に存在する。
元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」と記した石碑を建立した。
(『広厳寺(楠寺)』項目も参照)以来 水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。
幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり 彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。
慶応3年(1867年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ 1868年(明治元年) それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため 神社を創建するよう命じ 1869年(明治2年) 墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め 1872年(明治5年)5月24日 湊川神社が創建された。

とても立派な表門

大きさ 分かりますか?

大鳥居

山桜

神代曙

手水舎

拝殿・本殿

内陣

アップすると 鏡に自分が写ります



楠木正成公殉節地

由緒書

自刃地には入れません

親子さざれ石

末社 菊水天満神社

甲子園から一度神戸に戻り、湊川神社へあがらせていただきました。こちらは楠木正成(大楠公)を御祭神としてお祀りしています。楠木正成は後醍醐天皇に従い、鎌倉幕府討伐の命を受け鎌倉幕府が倒れた後、建武の新政でも活躍しました。後に足利尊氏と対立し、戦った後に殉節しました。以来、地元の人たちは楠木正成を慕い、墓所を守ってきました。創建は明治元年(1868年)4月、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるために神社創祀の御沙汰書を下されました。そして、明治5年(1872年)5月24日、社名を「湊川神社」として5月25日に楠公祭を斎行し、湊川神社は創建されました。







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