みなとがわじんじゃ
湊川神社
公式兵庫県 神戸駅
参拝:6:00〜18:30(季節により変動あり)
社務所(お守り・授与品・朱印・祈祷)9:00~17:00
みなとがわじんじゃ
公式兵庫県 神戸駅
参拝:6:00〜18:30(季節により変動あり)
社務所(お守り・授与品・朱印・祈祷)9:00~17:00
カミさんの希望もあり、湊川神社にお参りしました。大きなお社でした。
楠公こと楠木正成がご祭神です。楠公は大阪の千早赤坂の生まれなのですが、この神戸
の地で足利軍と戦い、生涯を閉じたのです。
楠公の墓所もあり、なぜ「神社」なのか・・・やはり後醍醐天皇に最後まで殉じた「忠誠の方」
でしたので、明治維新時に神格化されたのでしょう。明治天皇の時に「湊川神社」として
創建されたそうです。
ご本殿含む社殿は昭和27年に復興されたものだそうです。東京もそうですが、神戸は度重
なる空襲を戦時に受けていますので、市内にある神社はほとんど終戦後に再興されたものの
ようです。
でも神戸駅からすぐのところにこのような立派なお社があることは、神戸っ子のご自慢の場所
なのでしょう。
御朱印は5~6種類ありました。湊川神社のものをいただきました。
菊水のご神紋が美しい。
正面の表神門(南門)。なんだか三門鳥居のような独特の作りです。
表神門の右手に楠公の御墓所がありました。
御墓所前にある明治天皇の短歌の石碑。楠公の忠義心は明治維新では
精神的指導力となったそうです。
建国記念日なので、何か神事でもあったのでしょうか。ご神職の方々が移動。
ご社殿です。戦後の再興のもの。
朝から曇っていましたが、湊川神社に来る時は晴れて、すがすがしい天気
になりました。
菊水紋は、後醍醐天皇から菊のご紋を下賜された楠公が、そのまま用いるのは
恐れ多いと、信奉する水分神社の流水紋と合わせて創ったとされています。
ご社殿が青空に映えています。
親子のさざれ石。左側は昭和天皇が種植えされた楠木。育っていますね。
ご社殿の右側には天神さまが祀られていました。
天神さまです。
生田神社、長田神社と並び神戸三大神社に数えられる湊川神社。
先日、生田神社と長田神社は投稿させていただきましたが、この三大神社を同一日にお参りさせていただきました。
朝早い時間帯のお参りだったため、境内は神職の方々が一斉にお掃除をされていました。
広い境内のため、ボランティアのおじいさんもお手伝いをされているようでした。
今回は神戸七福神巡りでお参り。
湊川神社は毘沙門天となります。
湊川神社の神戸七福神パンフレットより以下、引用させていただきます。
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湊川神社の御祭神は、「大楠公」と称えられる楠木正成公です。
そのご誕生には、このようなお話が伝わっております。
楠公の母君が、霊峰信貴山に日参して御本尊の毘沙門天に一心に手を合わせ「どうぞ御心あらば、よき子を授け給え」と祈りを重ねられました。
そしてある日、夢の知らせを受けて身ごもり、晴れて出産の喜びを迎えられます。 その嬰児こそ、後の大楠公、楠正成公だったのです。
~中略~
さて、楠公の母君は、生まれたての嬰児「多聞」に、子守歌がわりに「お前はただの子ではない。信貴の毘沙門さまより授かった申し子ぞ。大きくなったら、必ず毘沙門さまの御功徳にあやかってお国の為に精一杯つくすのだよ。 その為に「多聞」の名まで頂戴した。 その名を、くれぐれもはずかしめない様に。」と語って聞かせたといいます。
実は毘沙門天の別称が「多聞天」。その御名にあやかって「多聞」と名付けられたのです。
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主祭神は先に書いたように、楠木正成公となりますが、配祀神として下記の方々が祀られています。
楠木正季卿・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命
岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命
橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命
菊池武吉卿
楠木正成公といえば「湊川の戦い」ですが、後醍醐天皇の勅命を受けて、鎌倉幕府や足利尊氏らと戦い、延元元年(1336年)湊川の戦いで敗北し自害されました。
その後、徳川光圀公によって立派なお墓が建立。
正成公を慕って、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬などが訪れたとのこと。
明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下されて、明治5年に湊川神社として創建されました。
何度見ても、この社号標の大きさにはびっくりします
表神門
拝殿
社殿の天井画
元々の社殿は神戸大空襲により焼失したため、昭和27年に再建。
その際に全国の著名画家から奉納されたものだそうです。
(全164点)
末社 菊水天満神社
菊水天満神社 社殿
遙拝所
手水舎
手水舎前から鳥居・表神門方向
楠本稲荷神社
社殿内はお掃除中だったため、神職の方とご挨拶後お参り。
楠本稲荷神社の社殿横にあるこれは何だろう?
湊川神社の東隣にある神戸地方裁判所
神戸七福神
神戸七福神毘沙門天の御朱印
神仏霊場の御朱印を頂きにやって来ました。
この日、二組の結婚式に遭遇。
どうやら大安だったようです。
楠木正成がここで最期を迎えられたとここに来て初めて知りました。
「そういえば、ここ、兵庫県だ」と(苦笑)
合戦地図というのが漠然と頭にあったんですが、都道府県と脳内で合致してなくて己の脳活動の行方を思わず心配してしまいましたよ(苦笑)
他のユーザーさんも書かれているように、駅から上がってすぐ神門で、あまりの近さに驚いたくらいです(笑)
社殿は昭和初期の建物の様で、実に「ハイカラ」でした。
境内の木は殆どがくすの木でした。そりゃ、そうか(笑)
神社と言うより一見お寺さんかなと思ったのは、恐らく由来にもある水戸光圀が知り合いのお寺さんに頼まれて、楠木正成最期の地にお寺を建てる資金を出した事によるのかなと。
そして明治になり明治天皇の命によりここに楠木正成をご祭神とした神社が建立されました。
ご存知のように皇室は北朝と南朝に分かれていました。
鎌倉幕府後期、幕府は皇室をないがしろにするような政策をしていた事で後醍醐天皇は「院政」を取り戻そうとして挙兵し、奈良吉野山にて南朝を立ち上げました。
その時に天皇を守るために楠木正成も守護として寄り添ったのですが、同じように後醍醐天皇の守護をしていた足利義政の裏切りにより南朝皇室は途絶えました。
それより北朝と南朝に分かれていたのですが明治天皇によりそれを一つにすると言う事になり南朝の英雄である楠木正成を讃えたのです。
現在でも皇居には北朝の英雄・和気清麻呂と南朝の英雄・楠木正成の像が二つ建っているそうです。
実はこの日最後に参拝しようと同じ敷地内にある墓所に行くと、丁度日蓮宗のお坊様達と檀家さんたちに遭遇。
お経を唱えていらっしゃる後ろの方で私も一緒にこっそり参拝させてもらいました。(笑)
神仏習合だなぁって。
追記
5月24・25・26日は楠公祭だそうです。週末にあたりますね。
実は5月中がこのお祭りをしているようで、上記の3日が本宮になるそうです。
そういえば子供神輿が出てた。
表神門
拝殿
結婚式が二組あったので緋毛氈が。
普段は中に入れるそうですが、この日は結婚式。外から眺めてました。
拝殿の扉。どことなく洋風。
菊水天神社
親子さざれ石。楠木正成と正行親子かな?
昭和天皇が実生をお撒きになられて育った楠だそうです。ちょっと小さいなぁ。少なくとも31年経っているわけだから、我が家にヒヨが落として行って生えてきた楠はもっと大きい。年数は変わらないと思う。
大楠公殉節地の入り口。
大楠公殉節地。ここに参拝したい場合は社務所にお願いすると参拝できるそうです。本日は結婚式が二組だったので遠慮して、外から写しました。
楠本稲荷神社
楠本稲荷神社
嗚呼忠臣楠子之墓(楠木正成のお墓です)
後から私も参拝(笑)
日本最古のオリーブの木
駅の入り口も和風
経営者が一緒だからかな?同じホームに阪神と阪急
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