参拝者と神社お寺でつくるお参りの記録共有サイト楽しみ方

みなとがわじんじゃ

湊川神社の歴史兵庫県 神戸駅

湊川神社の歴史情報

詳細情報

ご祭神楠正成公(大楠公)
ご由緒

大楠公は、元弘元年(1331)九月に後醍醐天皇の命に従って挙兵、やがて鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武中興」に大きな功績をあげられた。
しかし、謀反により一時九州へ敗走した足利高氏の大軍を、大楠公は、ここ湊川で迎撃、激戦の末、延元元年(1336)五月二十五日、弟正季卿と「七生報国」を誓って刺交し、殉節を遂げられた。
その後御墓所は、豊臣秀吉検知の際、免祖地とされ、江戸時代初期には摂津尼崎藩主・青山幸利公によって松と梅が植えられ、五輪の供養塔も建てられた。更に元禄五年(1692)、水戸光圀公(義公)によって、墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」が建立、大楠公の御盛徳が天下に顕彰された。
これにより、大楠公景仰の気運が愈々高まり、やがて維新回天への力強い精神的指導力となった。
そうした幕末から維新にかけて、尊崇し已まない大楠公、その御神霊を奉斎したいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868)四月、明治天皇は、神社創祀の御沙汰書を下された。
よって明治五年(1872)五月二十四日、社名を「湊川神社」とし、初めての別格官幣社に列せられ、同日鎮座祭、翌二十五日楠公祭が斎行されて、ここに湊川神社が創建された。

歴史の写真一覧

行きたい投稿する
何かお気づきの点はありますか?
ホトカミに意見を送る