みなとがわじんじゃ
湊川神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
みなと八幡神社のあと時間もあったし、せっかくならば、と、こちらへ。
大きな神社ですが、この日はあまり人もいなかったので、のんびりゆっくりお参り。
4日間かなり歩いたので、疲れてはいたのですが、神社にくるとそれも忘れますね。
御朱印は数種類ありましたが、直書きいただけるものをお願いしました。
書いていただいている間、椅子に座っておまちくださいといわれたので、ありがたく休憩させていただきました。
旅行中、お天気悪い予報だったのですが、あれ?というくらい良いお天気になり、お参りの効果かな?
ありがたいです。
カミさんの希望もあり、湊川神社にお参りしました。大きなお社でした。
楠公こと楠木正成がご祭神です。楠公は大阪の千早赤坂の生まれなのですが、この神戸
の地で足利軍と戦い、生涯を閉じたのです。
楠公の墓所もあり、なぜ「神社」なのか・・・やはり後醍醐天皇に最後まで殉じた「忠誠の方」
でしたので、明治維新時に神格化されたのでしょう。明治天皇の時に「湊川神社」として
創建されたそうです。
ご本殿含む社殿は昭和27年に復興されたものだそうです。東京もそうですが、神戸は度重
なる空襲を戦時に受けていますので、市内にある神社はほとんど終戦後に再興されたものの
ようです。
でも神戸駅からすぐのところにこのような立派なお社があることは、神戸っ子のご自慢の場所
なのでしょう。
御朱印は5~6種類ありました。湊川神社のものをいただきました。
菊水のご神紋が美しい。
正面の表神門(南門)。なんだか三門鳥居のような独特の作りです。
表神門の右手に楠公の御墓所がありました。
御墓所前にある明治天皇の短歌の石碑。楠公の忠義心は明治維新では
精神的指導力となったそうです。
建国記念日なので、何か神事でもあったのでしょうか。ご神職の方々が移動。
ご社殿です。戦後の再興のもの。
朝から曇っていましたが、湊川神社に来る時は晴れて、すがすがしい天気
になりました。
菊水紋は、後醍醐天皇から菊のご紋を下賜された楠公が、そのまま用いるのは
恐れ多いと、信奉する水分神社の流水紋と合わせて創ったとされています。
ご社殿が青空に映えています。
親子のさざれ石。左側は昭和天皇が種植えされた楠木。育っていますね。
ご社殿の右側には天神さまが祀られていました。
天神さまです。
長田神社さんへのお参りの後、阪神電車で高速神戸まで移動して湊川神社さんへ伺いました。
こちらは東改札を出て階段を上がったらすぐ目の前です。
表神門という最初の門がとても立派で、木でできているのですね。とても素敵。かっこいい!と思わずにはいられません。
広い境内を先に進むと、白い大鳥居が。美しいですねぇ。
ご本殿も赤や朱色など一切なく、オフホワイトのような優しいカラーでこれまた素敵。
このようなカラーの神社はあまり記憶にありません。
結婚式もできる建物もあるようで、たくさんの方が参拝に来られていました。
HPには日本最古のオリーブ樹、と書かれているのですが気付かずスルーしてしまいました。
次回伺う機会があればぜひ拝見したいと思います。
清々しい気持ちでお参りできました。
神戸市中央区にある神社です。
初詣で目の前を大き
い道路が通っているにも関わらず 奥行きのある境内は物静かで ここだけ違う空気に満たされているようでした。
15日のとんど祭の準備もされていました。
狛犬が3対ありましたが 1対だけ赤褐色だったのが不思議でした。
楠本正成公の墓所でもあり 大楠公の御一代記が掲示されていました。
なぜか徳川光圀公の像がありました。
時代が変わる時には 強者の立場で伝わることが多いのですが 無念の最期を遂げられた方がいることも知るべきですね。
大河ドラマに取り上げて欲しいという署名もありました。
叶うといいなと思いました。
楠木正成公が御祭神の神社。
トラウマとなる出来事に遭って以来、20数年ぶりに参拝した。
神社の中の建物は新しくなっていた。本殿には茅の輪があったので1回くぐってお参りしたあと、末社の天満神社にお参り。その時そのトラウマ含む闇がお社に吸い込まれていくビジョンが見えた。それが長いこと続いたのでクタクタになったけど、終わったときにはスッキリ心が軽くなった。
本殿に戻ってもう1度茅の輪をくぐらせてもらい、最後に楠公墓所を参拝。結果的に神域を穢してしまったことをお詫びしてろうそくをお供えして帰った。
自分の闇と向き合うために来たけど、最大の闇が手放されて心身ともにスッキリ軽くなった。本殿についたときちょうどお宮参りをする赤ちゃんとご家族にも遭遇した。夏至直前というタイミングに手放すよう呼ばれたんだと思う。
湊川神社の門
楠公墓所
本殿に茅の輪があった
天満神社
生田神社、長田神社と並び神戸三大神社に数えられる湊川神社。
先日、生田神社と長田神社は投稿させていただきましたが、この三大神社を同一日にお参りさせていただきました。
朝早い時間帯のお参りだったため、境内は神職の方々が一斉にお掃除をされていました。
広い境内のため、ボランティアのおじいさんもお手伝いをされているようでした。
今回は神戸七福神巡りでお参り。
湊川神社は毘沙門天となります。
湊川神社の神戸七福神パンフレットより以下、引用させていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~~
湊川神社の御祭神は、「大楠公」と称えられる楠木正成公です。
そのご誕生には、このようなお話が伝わっております。
楠公の母君が、霊峰信貴山に日参して御本尊の毘沙門天に一心に手を合わせ「どうぞ御心あらば、よき子を授け給え」と祈りを重ねられました。
そしてある日、夢の知らせを受けて身ごもり、晴れて出産の喜びを迎えられます。 その嬰児こそ、後の大楠公、楠正成公だったのです。
~中略~
さて、楠公の母君は、生まれたての嬰児「多聞」に、子守歌がわりに「お前はただの子ではない。信貴の毘沙門さまより授かった申し子ぞ。大きくなったら、必ず毘沙門さまの御功徳にあやかってお国の為に精一杯つくすのだよ。 その為に「多聞」の名まで頂戴した。 その名を、くれぐれもはずかしめない様に。」と語って聞かせたといいます。
実は毘沙門天の別称が「多聞天」。その御名にあやかって「多聞」と名付けられたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~
主祭神は先に書いたように、楠木正成公となりますが、配祀神として下記の方々が祀られています。
楠木正季卿・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命
岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命
橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命
菊池武吉卿
楠木正成公といえば「湊川の戦い」ですが、後醍醐天皇の勅命を受けて、鎌倉幕府や足利尊氏らと戦い、延元元年(1336年)湊川の戦いで敗北し自害されました。
その後、徳川光圀公によって立派なお墓が建立。
正成公を慕って、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬などが訪れたとのこと。
明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下されて、明治5年に湊川神社として創建されました。
何度見ても、この社号標の大きさにはびっくりします
表神門
拝殿
社殿の天井画
元々の社殿は神戸大空襲により焼失したため、昭和27年に再建。
その際に全国の著名画家から奉納されたものだそうです。
(全164点)
末社 菊水天満神社
菊水天満神社 社殿
遙拝所
手水舎
手水舎前から鳥居・表神門方向
楠本稲荷神社
社殿内はお掃除中だったため、神職の方とご挨拶後お参り。
楠本稲荷神社の社殿横にあるこれは何だろう?
湊川神社の東隣にある神戸地方裁判所
神戸七福神
神戸七福神毘沙門天の御朱印
【湊川神社】
御朱印は拝受せず。奈良から近鉄電車と阪神電車で神戸に戻り、大大大好きな湊川神社へ新年のご挨拶。今回お守りは買わず、初めて湊川神社の木札を買わせていただきました。
お稲荷さんへの案内が出ていますが
参道から直接お稲荷さんへは紅白の幕で通れず。御本殿をお参りして戻る道でお参りできました。
高速神戸駅からの案内。
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