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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
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安徳帝内裏跡と伝わる「安徳宮」
R2から須磨浦公園を突っ切り、かなりの勾配を登ると"一ノ谷町"という住宅街が見えてくる。その中心ぐらいにある一ノ谷公園の横。
徒歩だと結構な階段を登らないとたどり着けないほどだが、駐車スペースはない。
朱色の鳥居をくぐり、参道を進むと正面拝殿。
両サイドに小さな狛犬と石灯篭。
拝殿左手に龍神を祀る「真理弁財天」が建つ。
神社左手には「安徳帝内裏趾傳説地」の石碑と「皇女和宮」の像。
源平時代、この一ノ谷の地に安徳天皇が一時内裏を置いたと言われている地が、のちに安徳帝を祀られるようになったとか。
また、この辺は明治時代とかに異人館があった地で、境内の灯篭はモルガンお雪が寄進してる。灯篭に名前掘られてる。
あと、なぜか和宮像があるけどなんであるのか読んでもよくわからなかった。
車無理だろうな〜と思って珍しく徒歩で参拝。坂道すっごい疲れた。
鳥居
拝殿
安徳帝内裏趾傳説地
和宮像
歴史
源平の戦で源氏に追われられた安徳帝は平家一門に奉じられて西走の途中、一ノ谷に内裏を置かれたと伝えられている。この地に安徳帝のご冥福を祈るために祀られたのが安徳宮である。安徳帝は寿永四年(1185)下関壇ノ浦の戦にて祖母二位の尼(平清盛の妻・建礼門院の母)に抱かれ、八才で海中に身を投じられた。
名称 | 安徳宮 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 安徳天皇 |
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ご由緒 | 源平の戦で源氏に追われられた安徳帝は平家一門に奉じられて西走の途中、一ノ谷に内裏を置かれたと伝えられている。この地に安徳帝のご冥福を祈るために祀られたのが安徳宮である。安徳帝は寿永四年(1185)下関壇ノ浦の戦にて祖母二位の尼(平清盛の妻・建礼門院の母)に抱かれ、八才で海中に身を投じられた。 |
体験 | 伝説 |
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