むらかみていしゃ
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最近 細君より
「お伊勢さんがぁ~」
「出雲大社様がぁ~」
と御社様の話が出てきます。
御朱印集めを始める時に「御寺様がいい」( 〃▽〃)
と のたまっておられたのに御社様成分が欠乏しだしたようです(^^;
「ほな神仏霊場巡拝やってみる?」と聞くと
「須磨寺様に御朱印帳の予約しといたよ」(*´▽`*)
「………マジ?」(゜▽゜;)
ということで御社様解禁です(^^;
この日は朝イチで須磨寺様に向かったのですが早く着きすぎたので駐車場から境内を抜け須磨寺駅の方へ向かいR2沿いの村上帝社様にお参りしました。
村上帝社様には伝説があります。
太政大臣にまで登り詰め、音楽の才にも恵まれた藤原師長卿がその音楽の道を究めんと唐へ渡るために西に向かいました。
その途上この地で宿を求めると琵琶と琴の伝説的な名人であった村上天皇と梨壺の女御が現れました。「自分たちはあなたが唐へと渡ることを押し留めにきたのだ」と告げます。そして唐に渡る必要のないほどの演奏の秘伝と、竜宮から授かったという素晴らしい音色を奏でる琵琶「獅子丸」を授けるのと同時に姿を消します。我に返った藤原師長卿は「獅子丸」を携え、足取り軽く都へと戻って行きました。
それほど大きくない御社様に、とても素敵な伝説が詰まっていました(^-^)
JR神戸線「須磨駅」から徒歩5分、さきほど投稿した関守稲荷神社からは徒歩2分ほどになります。
山陽電鉄線のすぐ南側に鎮座していて、南側の鳥居は国道2号線に面しています。
といっても小さな鳥居なので、車で走っていると見過ごしてしまいますが。
兵庫県神社庁には「村上神社」と記されていますが、神社の社号標には「村上帝社」となっていて、さらに南側の鳥居横にある小さな標石には、「村上帝社琵琶達人師長」と刻まれていました。
これは、平安時代末期、琵琶の名手藤原師長がさらに奥義を極めようと唐に渡るため須磨まで来たところ、村上天皇と梨壺女御の霊が現れて琵琶の奥義を伝えたので、入唐を思いとどまったそうです。
そして龍宮から師長に捧げた名弦「獅子丸」をここに埋めたと伝えられています。
この伝説は、謡曲『弦上(げんじょう)』で謡い語られています。
南側の鳥居
左下の小さな標石に「村上帝社琵琶達人師長」と刻まれています
末社 天隆稲荷
西側の鳥居
歴史
村上帝社とは、須磨区にある村上天皇を祀る神社です。
この神社には当代随一と呼ばれた琵琶の名手・藤原師長の伝記が残されています。
平安末期の太政大臣(現代で言う総理大臣のようなもの)藤原師長(もろなが)は琵琶の名手でした。己の技量に満足していなかった藤原は、周囲の反対を押し切り琵琶の本場・当時、中国の王朝であった唐へ渡ろうと決意します。
日暮れ時、須磨の辺りへ辿り着いた藤原は老夫婦の宿を借りる事になります。
その夜、藤原は一宿一飯のお礼にと琵琶で一曲弾き上げるとその老夫婦は琵琶と琴の伝説的な名人であった村上天皇と梨壺の女御へ姿を変え、藤原が唐へ行くのを押し留めるのです。
そして唐へ渡る必要のないほどの演奏の秘伝と素晴らしい琵琶を与えられた藤原は唐へ渡ること無く都へ帰り着いた、というのが村上帝社にまつわる伝記です。
この伝記を題材として、能の「絃上」が作られました。
(須磨浦商店街HPから引用)
名称 | 村上帝社 |
---|---|
読み方 | むらかみていしゃ |
参拝時間 | 24時間 |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
ホームページ | http://about.sumaura.jp/e371851.html |
詳細情報
ご祭神 | 村上天皇 |
---|---|
ご由緒 | 村上帝社とは、須磨区にある村上天皇を祀る神社です。
|
体験 | 伝説 |
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