やくしにょらいどう
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登別地獄谷にある御堂。
1861年火薬の原料として地獄谷で硫黄を採掘をしていた南部藩士が温泉で目を洗ったところ長年患っていた眼病が治ったことからその御礼に寄進した石碑が安置されている。
また地獄谷内には円空が彫った観音像(鉈作観音)も安置されている。山火事に遭い行方不明となっていたものが後に発見されたというが炭化してしまっている。
題目石は1871年日進上人が地獄谷を訪れた際「南無妙法蓮華経」と墨書した天然石だが判読できない。
薬師堂
鉈作観音
題目石
登別温泉〜地獄谷入口から展望台にかけて登別温泉三大史蹟があります。奥の展望台にあるお堂が『薬師如来堂』〜中には薬師如来像と石碑が安置されています。
かなり久々の地獄谷。『題目石』『包丁塚』を見ながら入口へ向かい、奥湯谷まで散策途中に『薬師如来』『鉈作観音』に手を合わせました。
『薬師如来堂』
文久元年(1861年)、硫黄を採掘していた南部藩の家臣がお堂の下で湧く温泉で眼を洗い、眼病が治ったと伝えられています。堂内にはお礼に寄進した石碑を安置され、「目の湯」として親しまれています。
地獄谷
『鉈作観音』
江戸時代に全国を行脚した僧・円空上人が、寛文6年(1666年)に鉈一本で作り上げた観音像。山火事で一時行方不明になり、後に黒焦げの姿で発見。地獄谷展望台に安置されています。
『題目石』明治4年(1871年)、伊達市妙栄寺を開いた僧・日進上人が、お題目を墨で書き上げた自然石。昔は水をかけると「南無妙法蓮華経」の文字が浮かび上がったそうです。
『包丁塚』
名称 | 薬師如来堂 |
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読み方 | やくしにょらいどう |
参拝料 | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
ご本尊 | 薬師如来 |
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宗旨・宗派 | |
創建時代 | 文久元年(1861) |
開山・開基 | 南部藩家臣 |
ご由緒 | 文久元年(1861)、火薬の原料として地獄谷から硫黄を採掘していた南部藩の家臣が、お堂の下から湧いている温泉で目を洗ったところ、長年患っていた眼病が治ったことから、そのお礼に寄進した石碑が安置されており、今では目の湯の名前で親しまれています。 |
体験 | 伝説 |
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