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かつおうじ|高野山真言宗応頂山

勝尾寺
大阪府 彩都西駅

平日 8:00〜17:00/土 8:00〜17:30/日祝 8:00〜18:00

御朱印

勝尾寺の御朱印は3種類です。

  • 大悲殿の御朱印
  • 御詠歌の御朱印
  • 大圓光大師の御朱印

大悲殿の御朱印

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御朱印について御朱印
あり

いただける御朱印は、「大悲殿」の墨書きに印が重ねられたものや、御詠歌のもの、そして「圓光大師」の墨…

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駐車場
あり

有料駐車場あり(1時間500円、以降30分200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三箇所霊場第23番札所
法然上人二十五霊場第6番札所(二階堂)
摂津国八十八ケ所第54番札所
摂津国33箇所第22番札所
神仏霊場巡礼の道第65番(大阪24番)

勝尾寺について

だるま寺


境内のいたる所にだるまさんが置かれて圧巻です。

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sasaki3
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2025年12月17日(水) 07時41分45秒
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勝尾寺 西国三十三霊場 重ね印

勝尾寺の御朱印

勝尾寺 西国三十三霊場 重ね印

勝尾寺(大阪府)

勝尾寺 西国三十三霊場 重ね印

勝尾寺(大阪府)

勝尾寺 西国三十三霊場 重ね印

勝尾寺(大阪府)

勝尾寺 西国三十三霊場 重ね印

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歴史

伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。
元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。
承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。

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勝尾寺の基本情報

住所

大阪府箕面市粟生間谷2914-1

行き方

Osaka Metro御堂筋線「千里中央駅」下車、阪急バス4番から北摂霊園行き「勝尾寺山門前バス停」下車

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名称

勝尾寺

読み方

かつおうじ

通称

だるま寺

参拝時間

平日 8:00〜17:00/土 8:00〜17:30/日祝 8:00〜18:00

参拝にかかる時間

約120分

参拝料

大人400円、小中学生300円、未就学児100円、2歳以下無料

トイレあり(境内に4箇所あり)
御朱印あり

いただける御朱印は、「大悲殿」の墨書きに印が重ねられたものや、御詠歌のもの、そして「圓光大師」の墨書きに朱印が押されたもの、合計3種類です。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号072-721-7010
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.katsuo-ji-temple.or.jp/
おみくじ

あり

お守り

あり

絵馬

あり

巡礼の詳細情報

摂津国三十三箇所

第22番

仏さま:十一面千手観音

法然上人二十五霊場

第5番

御詠歌:

柴の戸に 明け暮れ掛かる 白雲を いつ紫の 色に見なさん

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

摂津国八十八箇所

詳細情報

ご本尊十一面千手観音
山号

応頂山

宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代

神亀四年(727)

開山・開基

善仲・善算

ご由緒

伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。
元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。
承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。

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