いつくしまじんじゃ(ながおべんざいてん)
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厳島神社(長尾弁財天)について
足利景長が両崖山城守護のため勧請した「長尾七弁天」の一つ。
拝殿前に貼り紙があります。
連絡すると、自宅にて御朱印が頂けます。
歩いて5分程。
御朱印領布しているお宅は、近くにある日本庭園「物外軒」の管理もされているとのこと。
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足利市神社巡りで弁天さまに詣でました
綺麗な朱塗り
手水 『舎』にはなっていませんでした
近くに立つ紅葉の葉が入って風流になっていました
拝殿
自分は読めません
絵馬掛けどころ…どこで絵馬を入手するのかは不明でした
縁起
おまけ 境内にあった足利城古墳之絵図
両崖山の裾には七つの厳島神社がある。そのうちのひとつ。平氏の流れである長尾氏が、平氏の守り神の厳島神社のご祭神の弁財天を大切にしていたんだろうなぁ〰と思う。
だから、正式には長尾弁財天と言うんだね。
他の投稿者も書いてありますが、御朱印を頂くため、貼り紙に書いてあるお宅に電話すると、大歓迎でお宅に上げて頂きまして、コーヒーまで御馳走になりました。
奥様が書き上げるまで、足利の町の事、先日の山火事の事など、楽しくお話ができました。
こんな出会いがあるのも、御朱印巡りの醍醐味ですね。
西陽に照らされて、朱の鳥居が綺麗でした。
拝殿
コンパクトな境内です。
緑と朱って似合いますね。
大山講の燈籠
普段は建屋の中に置かれていますが、ガラス越しに見えちゃいました。
奥様の美しい文字の御朱印には感動しました。
ハサミ紙
六丁目長尾弁財厳島神社奉賛会が管理しているようです。
歴史
※案内板が二つあるそうなので併記します。
【1】
御社はもと長尾家伝来の守護神として西宮町の長林寺に祀られておりましたが1868年の神仏分離令により当地へ遷座されたものであります。
弁財天は古く農耕水運の守護神として良民に福徳を与え尚情操とやすらぎをほどこす女神として住民にしたしく弁天様といわれ拝神されてまいりました。
遷座以来当地域に於ては水火の災なく今日隆々として楽しく生活が暮らせますのも御神威の御加護によるものであります。
御祭神の御祈祷については家内安全、商売繁盛、開運福徳、交通安全の御神威はもとより入試合格良縁祈願の御加護も大きく、尚長尾城主の但馬守景人は山ノ内上杉氏の老臣長尾景仲の一族で文正六年(1466年)に足利庄の地頭として来足六代にわたり百二十余年領主として大過なく務められたのも御神威によるものとされております。
今日御神威のしからしむるところにより崇敬者は年々増加しておりますのも御加護によるものと存じます
【2】
六丁目弁天は足利領主三代目の長尾景長が西宮の長林寺に祀ったものであり、長尾七弁天の一つとされている。
その後、明治元年の神仏分離令により現在地に遷座し、厳島神社となった。以来地域の守護神として厚く敬神され、安芸の宮島を見学して、それを模した鳥居も奉納された。この地域は、水害、火災もなく、各家庭や町内が仲よく和合して人情も厚い。弁天様のおかげと深く信仰され清掃もみんなで行っている。
弁天様は水の神、芸術の神であり、財宝利得をもたらす女神である。
名称 | 厳島神社(長尾弁財天) |
---|---|
読み方 | いつくしまじんじゃ(ながおべんざいてん) |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》市杵島姫命・建御雷男命 |
---|---|
創建時代 | 不詳 明治元年(1868年)現在地に遷座 |
創始者 | 長尾景長 |
ご由緒 | ※案内板が二つあるそうなので併記します。
【2】
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体験 | 御朱印武将・サムライ伝説 |
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