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ほうげんじ|浄土宗帝釈山

法玄寺
栃木県 足利市駅

御朱印について御朱印
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御朱印帳
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あり、境内

巡礼

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足利三十三観音霊場 第十番

法玄寺について

北条政子の妹、北条時子の墓所のあるお寺。

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2026年05月18日(月)708投稿

栃木県 足利市 巴町に境内を構える、法玄寺、正式名称は 帝釈山 智願院 法玄寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に 足利三十三観音霊場 巡礼にて参拝致しました、足利地方は歴史在る建物が多く所在しており 寺院も見所在ります、対応も良い寺院が多い地域でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 帝釈山、院号は 智願院、寺号は 法玄寺、宗旨 宗派は 浄土宗、ご本尊は 阿弥陀如来、足利三十三観音霊場 第十番札所 白衣観世音菩薩、
法玄寺の創建は建久7年(1196)、足利義兼(足利家2代当主)の室である北条時子(鎌倉幕府初代執権北条時政の娘、北条政子の妹)の菩提を弔う為、義兼の長男義氏が開いたとされます。寺号は時子の戒名である「智願院殿」に因み「帝釈山 智願院 法玄寺」と名付けられました。
戦国時代に足利家が没落すると衰微しましたが慶長11年(1606)、当地域の代官となった小林十郎左衛門が寂蓮社照誉芳陽を招いて浄土宗の寺院として中興開山しています。明治18年(1885)の火災により堂宇が焼失し明治22年(1189)に本堂(入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ)が再建されています。法玄寺山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門、木部朱塗り。鐘楼は宝形屋根、桟瓦葺き、外壁は柱のみの吹き放し。
法玄寺に伝わる伝承によると、北条時子は義兼が鎌倉出府の際、花見に出かけ生水を飲んだところ、次第に腹が大きくなり妊婦のような姿になり、鎌倉から帰った義兼がその姿を見ると時子が不義密通したと勘違いし嫌疑をかけました。無実の罪を着せられた時子は「死後わが身体をあらためよ」と言って自害して果てました。死体を改めると時子の腹からは無数の蛭が出てきた事から無実が証明され義兼は大変悔いたと伝えられています。
法玄寺はその後、何度も興廃を繰り返し時子の墓も分からなくなりましたが昭和6年(1931)に境内を整備した際、偶然鎌倉時代の五輪塔が発見され時子の墓と推定されました。五輪塔(蛭子塚:鎌倉時代作、凝灰岩製、高さ112.5cm)は時子の腹の中から蛭が出てきた事に因み「お蛭子さま」と呼ばれ信仰の対象にもなり貴重な事から昭和55年(1980)には足利市指定有形文化財に指定されています

法玄寺の御朱印

足利三十三観音霊場 第十番札所 白衣観世音菩薩、

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歴史

当山は、足利尊氏の六代先祖の足利義兼の正室であった北条時子姫の菩提のために建立されたと伝えられています。
北条時子姫は北条時政の娘で、足利義兼の室として足利に住んでいました。北条時子姫は、夫の義兼が鎌倉に滞在中腹部がふくれて妊娠したような状態になりました。
ところが側女の一人が義兼に、北条時子姫が密通した嘘をついたため、義兼は北条時子姫を疑うようになりました。北条時子姫は「死後わが身体をあらためよ」と遺言して自害しました。時に建久七年(1196年)のことです。 
死後、北条時子姫の死体を調べたところ、腹部には蛭(ヒル)が充満していました。北条時子姫が山野に出かけた時に飲んだ水が原因であったと言われています。義兼は大いに悔やむとともに、北条時子姫をとむらい法名を「智願院殿」としました。義兼の後妻の子である義純は、非業の死をとげた北条時子姫を悼み、寺院を建立することにしました。これが当山であり、北条時子姫の法名にちなみ智願院法玄寺と名付けられることになりました。

【北条時子姫の墓】
北条時子姫の死については、長い年月伝承とされてきましたが、北条時子姫の墓は見あたりませんでした。ところが昭和六年、無縁祭壇を作る工事を始めたところ、鎌倉時代のものと推定される五輪の塔が発見されました。伝承が事実であると分かったのです。この五輪の塔は無縁祭壇の側に安置され、「お蛭子さま」と呼ばれ、足利市の重要文化財になっています。

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法玄寺の基本情報

名称法玄寺
読み方ほうげんじ
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0284-21-2790

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://www.hogenji.jp/

巡礼の詳細情報

詳細情報

ご本尊《本尊》阿弥陀如来
《霊場本尊》白衣観音
山号帝釈山
院号智願院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代建久7年(1196)
開山・開基足利義兼
ご由緒

当山は、足利尊氏の六代先祖の足利義兼の正室であった北条時子姫の菩提のために建立されたと伝えられています。
北条時子姫は北条時政の娘で、足利義兼の室として足利に住んでいました。北条時子姫は、夫の義兼が鎌倉に滞在中腹部がふくれて妊娠したような状態になりました。
ところが側女の一人が義兼に、北条時子姫が密通した嘘をついたため、義兼は北条時子姫を疑うようになりました。北条時子姫は「死後わが身体をあらためよ」と遺言して自害しました。時に建久七年(1196年)のことです。 
死後、北条時子姫の死体を調べたところ、腹部には蛭(ヒル)が充満していました。北条時子姫が山野に出かけた時に飲んだ水が原因であったと言われています。義兼は大いに悔やむとともに、北条時子姫をとむらい法名を「智願院殿」としました。義兼の後妻の子である義純は、非業の死をとげた北条時子姫を悼み、寺院を建立することにしました。これが当山であり、北条時子姫の法名にちなみ智願院法玄寺と名付けられることになりました。

【北条時子姫の墓】
北条時子姫の死については、長い年月伝承とされてきましたが、北条時子姫の墓は見あたりませんでした。ところが昭和六年、無縁祭壇を作る工事を始めたところ、鎌倉時代のものと推定される五輪の塔が発見されました。伝承が事実であると分かったのです。この五輪の塔は無縁祭壇の側に安置され、「お蛭子さま」と呼ばれ、足利市の重要文化財になっています。

ご利益
体験
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