ぜんちょうじ|曹洞宗|巨法山
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お参りして御朱印をいただきました。
善長寺さんの隣りにある山王山古墳へも行ってみました。
山王山古墳は、城沼北岸の洪積台地上に築かれた前方後円墳で、現状長さ47メートル、後円部径37メートル、高さ5メートルの大きさをもち、昭和59年の調査では周囲に濠がめぐっていたことが確認されています。築造は周囲から出土した埴輪片などから6世紀後半から7世紀初頭の古墳時代後期と考えられています。
上毛古墳総覧(昭和13年刊行)の記録によると金環、刀十口が出土したとあり、その一部は隣接する善長寺に保管されています。山王山古墳は館林市内に現存する古墳のうちで最もよく原形をとどめています。
古墳は立ち入り禁止で草木が茂っていたので見た感じ前方後円墳かはわかりませんでした😓
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🌸群馬県館林市当郷町に建つ 巨法山 善長寺(ぜんちょうじ)⛩️ 🔹当寺は大永三年五月、館林城主赤井但馬守家範侯の開基によって創建されました。 開山は大雲惟俊大和尚です。元和九年(1623)八月館林城主松平忠次侯(徳川四天王のひとり榊原康政侯の孫。後の姫路城主)のご生母祥室院殿が病卒され当寺に埋葬されました。忠次(ただつぐ)侯は、母君の菩提のため荘田五十石を御朱印地として授与され、以後幕末まで寺領となりました。
🔹当寺境内には七福神の一人、寿老尊像が祀られています。寿老尊は中国の伝説中の人物ですが、宋代(十一世紀後半)の人と言われています。頭が長く白髪で、団扇(うちわ)と巻物をつけた杖とを持ち、鹿や鶴を連れていたと言われています。長寿(長生き、長命)を授けるといわれ、七福神のひとりとなっております。また、寿老尊は別名を南極老人ともいわれ、人の寿命をつかさどり、天下を治める働きがあるとされる南極星の化身ともされています。ちなみに、当山の寿老尊のお像は、当時の檀家さんが、長生きをされたお母さんの供養のためにとご寄進されたものです。
場所⛩️ : 群馬県館林市当郷町1975
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大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
江戸時代には館林城主・榊原忠次が生母・祥室院の供養のため中興開基し伽藍の整備を行ったと言われています。創建当時の諸堂伽藍は文政八年(1825)に火災で焼失してしまいました。御生母祥室院殿の墓が境内にあります。
善長寺の境内には、つつじが岡公園の起源となった「お辻・お松」の墓や、市内最古の山王山古墳も残されています。
榊原康政(徳川四天王の一人で館林城主)のめかけのお辻の方は寵愛を一身に集めていたが、それを嫉む他のめかけの仕打ちに堪えられず、侍女お松を伴い城沼に身を投げたという伝説が残っています。
康政はその死を悼んでお辻を弔うために沼の丘に植えた一株のつつじが「つつじが岡公園」の起こりと云われています。
善長寺の情報
| 住所 | 群馬県館林市当郷町1975 |
|---|---|
| 行き方 | 東武佐野線 渡瀬駅から徒歩35分 |
善長寺の基本情報
| 名称 | 善長寺 |
|---|---|
| 読み方 | ぜんちょうじ |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0276-72-0099 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 地蔵菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 巨法山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| ご由緒 | 大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
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