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ぜんちょうじ|曹洞宗巨法山

善長寺
群馬県 渡瀬駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

その他の巡礼の情報

つつじの館林七福神めぐり
壽老尊

おすすめの投稿

うさぎ大福
2020年01月29日(水)
216投稿

父と一緒につつじの館林七福神めぐり⑤✨

水仙の寿老尊✨

お寺の目の前は城沼が広がり。。
境内から眺める公園のつつじは絶景です♪
7月には蓮の花がいっぱい咲き。。
遊覧船で見る事ができるそうです🍀
素敵ですね😍

境内も水仙の小径があり。。
水仙の花が咲く頃は見事でしょうね♪
「その頃にまた、伺いたいね🙏」と。。
父と話しました🍀🤗🍀

善長寺の建物その他

宝船色紙✨
寿老尊✨(長寿の徳)

善長寺の山門

山門✨

善長寺の周辺

山門の目の前は城沼があります✨

善長寺の周辺

のどかです🍀

善長寺の建物その他

昔の瓦✨
葵の御紋✨

善長寺の本殿

本堂✨

善長寺の建物その他

聖観世音菩薩さまにごあいさつ🙏✨

善長寺の建物その他

徳川家光公から50石の朱印に換えて与えられたことで、本堂に葵の御紋があるそうです。

善長寺のお墓

榊原康政の側室お辻・侍女松の供養塔✨

善長寺の建物その他

鐘楼✨

善長寺の像

寿老尊✨
端正で白く長いひげ。。
健康と不老長寿の恵み✨

「いやぁ~、良かった良かった。」
「とっても良いところだよ♪」
「いやぁ~、住職さまとの話が良かったよ。色んな歴史が聞けて」と。。父。

佳きお参りとなりました🍀

仏様に感謝🍀🤗🍀

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年01月14日(土)
729投稿

🌸群馬県館林市当郷町に建つ 巨法山 善長寺(ぜんちょうじ)⛩️ 🔹当寺は大永三年五月、館林城主赤井但馬守家範侯の開基によって創建されました。 開山は大雲惟俊大和尚です。元和九年(1623)八月館林城主松平忠次侯(徳川四天王のひとり榊原康政侯の孫。後の姫路城主)のご生母祥室院殿が病卒され当寺に埋葬されました。忠次(ただつぐ)侯は、母君の菩提のため荘田五十石を御朱印地として授与され、以後幕末まで寺領となりました。
🔹当寺境内には七福神の一人、寿老尊像が祀られています。寿老尊は中国の伝説中の人物ですが、宋代(十一世紀後半)の人と言われています。頭が長く白髪で、団扇(うちわ)と巻物をつけた杖とを持ち、鹿や鶴を連れていたと言われています。長寿(長生き、長命)を授けるといわれ、七福神のひとりとなっております。また、寿老尊は別名を南極老人ともいわれ、人の寿命をつかさどり、天下を治める働きがあるとされる南極星の化身ともされています。ちなみに、当山の寿老尊のお像は、当時の檀家さんが、長生きをされたお母さんの供養のためにとご寄進されたものです。

場所⛩️ : 群馬県館林市当郷町1975

善長寺(群馬県)
善長寺の御朱印
善長寺(群馬県)
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歴史

大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
江戸時代には館林城主・榊原忠次が生母・祥室院の供養のため中興開基し伽藍の整備を行ったと言われています。創建当時の諸堂伽藍は文政八年(1825)に火災で焼失してしまいました。御生母祥室院殿の墓が境内にあります。
善長寺の境内には、つつじが岡公園の起源となった「お辻・お松」の墓や、市内最古の山王山古墳も残されています。
榊原康政(徳川四天王の一人で館林城主)のめかけのお辻の方は寵愛を一身に集めていたが、それを嫉む他のめかけの仕打ちに堪えられず、侍女お松を伴い城沼に身を投げたという伝説が残っています。
康政はその死を悼んでお辻を弔うために沼の丘に植えた一株のつつじが「つつじが岡公園」の起こりと云われています。

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善長寺の基本情報

住所群馬県館林市当郷町1975
行き方

東武佐野線 渡瀬駅から徒歩35分

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名称善長寺
読み方ぜんちょうじ
トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0276-72-0099
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊地蔵菩薩
山号巨法山
宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

大永3年(1523年)に大雲惟俊大和尚が開山し、館林城主の赤井孫七朗家範の開基により創建されたと伝えられています。
江戸時代には館林城主・榊原忠次が生母・祥室院の供養のため中興開基し伽藍の整備を行ったと言われています。創建当時の諸堂伽藍は文政八年(1825)に火災で焼失してしまいました。御生母祥室院殿の墓が境内にあります。
善長寺の境内には、つつじが岡公園の起源となった「お辻・お松」の墓や、市内最古の山王山古墳も残されています。
榊原康政(徳川四天王の一人で館林城主)のめかけのお辻の方は寵愛を一身に集めていたが、それを嫉む他のめかけの仕打ちに堪えられず、侍女お松を伴い城沼に身を投げたという伝説が残っています。
康政はその死を悼んでお辻を弔うために沼の丘に植えた一株のつつじが「つつじが岡公園」の起こりと云われています。

体験御朱印札所・七福神巡り

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