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妙法寺ではいただけません
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日蓮宗延寿山

妙法寺
北海道 旭川四条駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内の参道横

妙法寺について

旭川市内で最も古い日蓮宗のお寺。境内に建てられた大きな日蓮聖人の像が目を引きます。書き置きの御首題を頂くことが出来、通常の御首題と可愛い小坊主さんの印がある御首題の2種類があります。

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名称妙法寺
トイレ寺務所内
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0166-31-3317
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://enjuzan.myouhouji.nichiren-shu.jp/

詳細情報

山号延寿山
宗旨・宗派日蓮宗
創建時代1897年(明治30年)
開山・開基阿部格太郎 菱谷寿延 釈英儀
ご由緒

今日の妙法寺の源流は明治30年に開設された「日蓮宗説教所」に発します。
故にこの年を「妙法寺開山の年」としています。

 この説教所開設に力を尽くした人は阿部格太郎(あべかくたろう)氏ですが、阿部氏は妙法寺開基の恩人であるとともに旭川市開基の功労者でもありました。
阿部氏は旭川開村の前の24年6月、ほ通四丁目(今の一条五丁目右3号)で、駅逓を経営しました。駅逓というのは官設の旅館ともいうべきもので、開拓時代の交通通信、集会などの中心となったものですから、阿部氏は、いわば旭川村の世話役という立場にあったのです。
また、明治26年に私設忠別消防組ができると、その初代組頭になっていますから、今日の旭川消防団の創立者ということにもなりますし、忠別尋常小学校設立にも奔走しております。さらに、函館本線(当時は上川線と呼んだ)期成会の幹部として鉄道誘致にも力を尽くすなど、旭川のために尽くした功績は非常に大きいものがあります。
同時に阿部氏は熱烈な日蓮宗の信者でもあったのです。

 明治28年に旭川村は市街地の町名を変更しましたが、それまで「いろは」で呼んでいた通り名を“町”に改めました。
その時に「寺町」という名が登場します。この寺町へそれまでの各宗の説教所が寺を建て始めるのですが、その敷地は賃下げといって無料で交付されたのです。真久寺、善光寺、大休寺などがそれぞれ建設準備に入ります。
こうなりますと日蓮宗信徒にとっても、何とか一寺がほしい-同じ信徒である阿部氏に一肌脱いでほしいと一同が懇請します。
これを受けて阿部氏は、明治28年の春、雪解けを待って函館に向かいます。
目指すは函館実行寺です。旭川から函館への旅は、今と違って容易なものではありません。全て順調にいって片道十日、余裕をみれば往復一ヶ月の旅です。
阿部格太郎氏が訪れた実行寺の住職は、第17世 松尾潮円(まつおちょうえん)師といいました。潮円師に会った阿部氏は、旭川村の様子、信者のこと、寺院敷地の交付状況などについて詳しく説明します。この話を終始熱心に聴き入っていた潮円師は 『それでは菱谷寿延(ひしやじゅえん)を派遣しよう』 と、快諾しました。

 現妙法寺は山号を「延寿山」といいます。山号由来の詳細については判明しませんが、この菱谷寿延から出ていることだけは確かなようです。寿延という語は個人の延命長寿を願う意が強いのですが、山号の延寿となると一般大衆を対象とした感が深い語です。おそらく延寿山とつけられたのは、そのような願いがこめられていたと推測しています。

 明治28年の夏、菱谷寿延は旭川村に日蓮宗開教のため赴任してきました。とりあえず阿部氏始め、信徒代表と協力して寺院用地を取得せねばなりません。すでにこの時には他宗の寺院が出願していて、寺院用地に予定されていた寺町一帯に余地はなかったのです。このため北海道庁は一般宅地の中で、寺町に隣接する土地(現在の五条七丁目の左1号から8号まで)の賃下げを通知してきました。
この時の出願人は、松尾潮円師、阿部格太郎氏、小田熊次郎氏、及川菊之助氏の四名の名義になっていました。
しかし、この土地賃下げには制約事項があり、それは『2年以内に50坪以上の「公衆礼拝用に供する建物」すなわち寺院を建築しなければならない』というもので、もしできないときは没収すると定められていました。
さっそく新院建設費の寄付募集が始められますが、明治29年の夏のころには大体の募金が終わっています。工事入札は明治29年7月28日、請負人は旭川兵村の大工で、信徒でもある阿部叔蔵氏でした。
新しい寺院の建築仕様は、「木造柾葺平屋、間口6間、奥行5間の建坪30坪」のものでしたが、明治29年12月22日に竣工しました。

 こうして明治30年新春、新住職菱谷寿延師は「日蓮宗説教所」と、木の香も高い寺標をかかげ、旭川村をふくむ上川一円の布教に当たることになりました。
それから一年後の明治31年12月16日、寿延師は越後高田の法光山長遠寺に去りましたが、その後の一切を託したのが、釈 英儀師だったのです。
(妙法寺公式HPから引用)

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