ゆうがじんしゃ
瑜伽神社奈良県 近鉄奈良駅
参拝/24時間
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
瑜伽神社は奈良市にある神社です。
元興寺からの帰り道で 「神社ならまだ参拝できるかも」 と思って上がらせていただきました。
元興寺から歩いて10分かからない距離です。
ただ 道が細くて 少し迷いました。
小さな案内板があって助かりました。
私たち夫婦の他に 参拝者の女性が一人おられました。
二の鳥居をくぐり石段を上がっていきます。
青紅葉の中に鮮やかな朱色の拝殿が浮かび上がります。
紅葉したモミジも美しいとは思いますが 朱色にあわせるなら青モミジの方がきれいです。
狐さんがずいぶん古くて歴史を感じます。
拝殿でご挨拶。
境内社が3基ありました。
飛鳥神並社(瑜伽大神の和魂)
久恵比古社(久延彦大神)
猿田彦神社(猿田彦大神)
一言稲荷社
参拝を終えて もう夕刻ですが社務所のインターホンを押すと 快く御朱印に応対してくださいました。
ありがとうございました。
ネット情報です。
社伝によると飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り この山を平城の飛鳥山と呼んだという。
もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で 後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。
『大乗院寺社雑事記』明応3年(1494年)12月30日の条に 「一後智恵光院殿御建立之分(中略)今宮殿御殿 同拝殿仮葺也」とある「今宮」は本神社のこととされ 飛鳥の元宮に対して今宮と呼ばれたとされる。
瑜伽神社と称するようになったのは比較的最近のこととしている。
元興寺禅定院鎮守は高畑の天満天神であり 大乗院が当地に移って後も 同社が鎮守となったとされる。
『奈良坊目拙解』巻七の天満天神宮条によると 天満天神内にはかつて稲荷小祠があったが いつの間にか廃れてしまっていた。
享保3年(1718年) 宮守の吐山甚太夫が霊夢を見て稲荷小祠を再興し 同15年(1730年)8月に天満天神の北方 かつての新宮社があった地に正遷宮を行った との記録がある。
稲荷神社と瑜伽神社は祭神が等しく宇迦御魂大神であり この稲荷神社が山の地名にちなみ後年瑜伽神社と称したことが推測される。

この日に組んだプランもあと通りを一筋残すだけ
となりました。
少し北に向かってから再び東を目指しました。
少し歩くと瑜伽神社様が鎮座されていました。
御祭神は
宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)
をお祀りされています。
瑜伽神社様は710年まで平城京への遷都に伴って
飛鳥坐神社様の神奈備より勧請されました。
鎮座地として現在地が選ばれたのは瑜伽神社様の
鎮座地である瑜伽山が飛鳥坐神社様の鎮座地である
鳥形山と形状が似ていたからと考えられています。
(平地にコンモリとした小山)平城京への遷都で
飛鳥から移動して来た人達が心の拠り所として
故郷の風景を再現しようとしたと解釈すれば
平城(なら)の飛鳥と呼ばれる この地に郷愁のような
感情を抱いてしまいました。
その後 元興寺様の子院の「禅定院」が建立されると瑜伽神社様は鬼門除けとして組み込まれます。
そして1181年の平重衡による南都焼討ちにより
興福寺様の「大乗院」が焼失します。
「大乗院」の門跡だった信円(藤原忠実の息子)は
奇跡的に焼け残った「禅定院」を譲り受け「大乗院」の再建の中心拠点としました。当時の南都は藤原氏の
氏寺である興福寺様の一強状態でした。
南都七大寺として隆盛を誇った元興寺様でしたが
平安京へ遷都した後は荒廃の一途を辿っていて
この時の「禅定院」も実質的に興福寺様の支配下になっていたそうです。
こうして瑜伽神社様は「大乗院」の鎮守になられた
そうです。この時に御祭神も飛鳥坐神社より
勧請されお祀りされてきた
賀夜奈流美命(カヤナルミノミコト)から
宇迦之御魂大神へと差し変わったとされています。
石段を登る途中にに飛鳥神並社様という小さな
境内社があり 当時の飛鳥の人々の思いが今に
伝わっていて再び胸が熱くなりました。
飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという。もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。
| 住所 | 奈良県奈良市高畑町1059 |
|---|---|
| 行き方 | JR奈良駅、近鉄奈良駅から 天理駅・下山行バス7分「奈良ホテル」下車、 徒歩1分 |
| 名称 | 瑜伽神社 |
|---|---|
| 読み方 | ゆうがじんしゃ |
| 参拝時間 | 参拝/24時間 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0742-27-5299 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご祭神 | 宇迦御魂大神 |
|---|---|
| ご由緒 | 飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという。もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。 |
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