ほっかいどうごこくじんじゃ
北海道護國神社北海道 新旭川駅
社務所:9:00~17:00
戊辰戦争から太平洋戦争までの北海道・樺太の国事殉難者63,141柱を祀る護國神社。
旧陸軍第七師団縁の神社で隣には北鎮記念館があります。
この日は旭川のショッピングセンターに出かけました。
その帰りに、北海道護國神社に上がりました。
交通安全の御守を受けるためです。
1月も半ばを過ぎ、日曜日ですが境内には人の姿はさほどありませんでした。
水墨画のような景色の中にところどころ朱が目立っている境内で、ゆっくりとお参りをすることができました。
お参りを終えた後、授与所に向かいました。
交通安全の御守のほか、新年限定の御朱印を拝受しました。
それから境内社の北鎮安全神社をお参りして、北海道護國神社を辞しました。
新年御朱印めぐり❄️番外編『北海道護國神社』
〜福を招き幸福になる《吉祥御朱印》〜
久しぶりに大きな赤鳥居を抜けて参拝。素敵な御朱印を拝領です♪狛犬さんは吹雪から救出されたみたいな姿でした(笑)
毎年恒例🎍温泉プチ旅行の帰り、時間に余裕があり寄り道して初詣。九連休の最終日でも、まだまだ多くの参拝客で賑わう境内!真っ白な雪に鳥居の赤が映えてとても綺麗でした。
今回は、(一度行ってみたかった) 雪の露天風呂 ♨️ +サウナで有名な吹上温泉《白銀荘》で日帰温泉を楽しみ、旭川のOMO7に泊まって追いサウナを満喫。白銀荘は泉質も雪見風呂の景色もすごく良かったのですが、お正月の雪山でもアジア系外国人の方が多くちょっと残念に感じました。 (完全に余談でスミマセンン…)
《吉祥御朱印》
吉祥〜 『祥』は、神の意味がある「示」と善の意味がある「羊」からなり、神の力によって幸福になる。従って、吉も祥も全て福を招くとてもおめでたい言葉〜 こんな説明が添えられていました😌
新雪が綺麗✨❄️✨❄️
THEお正月🎍そんな晴れやかな境内!
一ノ鳥居の向こうには二ノ鳥居
更に先には神門も見えます😌
大きな狛犬さんも雪まみれ〜
冬の北海道らしいお姿😄
しばらく列び参拝🙏
今年もたくさん温泉にも行きたいな♨️
先ずは健康でいないと!!
神門の中も広々〜神社じゃないみたいな雪景色❄️青空に白く輝き美しい😊🎵
〜オマケ〜
OMO7の大きなサウナ白熊+チビちゃん🥰
肩を組みたくなるサイズ🎵
『北海道護国神社』参拝🌿
美しい藤に誘われ、久しぶりに旭川の参拝へ✨立派な藤棚からはいい香も漂っていました (*´μ`*)
大きな池の右側エリアではツツジも満開!夏には睡蓮(もしくは蓮)も楽しめそうな様子♪こちら側は初めて行ったのですが、噴水も涼しげで素晴らしいお庭でした。
ポカポカ陽気で鳶も悠々と舞う青空の下を最高の参拝!!
神門の先は、いつ伺っても清々しく厳かな空間です。
そして、目的の一つ慰霊大祭の御朱印《胡蝶》~期間限定
青海波の地模様の紙に舞の様子が描かれた素敵な御朱印。初穂料300円には今回も驚き!!御朱印帳の切り替わりのタイミングでしたので、一頁目に通常御朱印も書いていただきました。二つの御朱印を合わせても600円🍀物価高騰の中~感謝でいっぱい (ノ*'ω'*)ノ
御本殿にも「そうだ、神社へ行こう」のお知らせがありましたので、社務所で冊子をいただきました。上川・留萌の神社ガイドブックは初めて目にしましたが、B5サイズで情報も満載!こちらも驚きました。
神門の右上には鳶が悠々と飛んでいる!
そう思いましたが、、
おみくじが《チゴハヤブサ》ってことは、このあたりは鳶ではなくて隼が飛んでいるのですね!!
満開の藤棚✨
いい香がして、蜂が忙しそうな様子🐝
今がピークでしょうか~
初めて行った池の右側方向!
すごく素敵な場所でした😊
さて、鳥居から参拝スタート!!
長い長い参道を進み神門へと向かいます。
参道途中の左、社務所前に立派な藤棚がありました。
今までの参拝では全く気付いていなかった…
咲き終わって切ってしまうと存在感が薄れるからかな~
さてさて、美しい神門を抜けて御本殿へ
春の御神木はエネルギーに満ちています😄
たっぷり力をいただきました!!
参拝を終えて拝殿から振り返るとこんな様子~
慰霊祭の準備でしょうか
参拝後に見る景色✨
神門の向こうに連なるけど大きな紅鳥居がまた素敵!!
社務所横の池には、昨年に続き~
またまた白く輝く鯉さんが登場💓
本日は杓もありまして、優しく美しい音色に耳を澄ませました🎶
書置きの慰霊大祭御朱印と直書き拝領の通常御朱印、
初めていただいた上川・留萌の神社ガイド
御朱印を待つ間、チゴハヤブサおみくじをじっくり🎵
最近どこも可愛いおみくじばかり~
この杜で生まれ育ったたチゴハヤブサと書いてありました💕
こちらが池の右側エリア!すごく素敵でした!!
いい季節だったみたいでツツジが美しくうっとり🌿
奥には噴水もあり一面に睡蓮。夏が楽しみな様子でした。
藤を満喫ヽ(*´∇`)ノ
風が吹くと香がフワリ♪
1月1日 元旦祭
1月3日 元始祭
2月3日 節分祭
6月4日 宵宮祭
6月5日 慰霊大祭
6月6日 後日祭
6月30日 大祓式
8月9日 北鎮安全神社宵宮祭
8月10日 北鎮安全神社例大祭
8月13日~17日 献灯みたま祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式 除夜祭
毎月5日 月次祭
本神社は遠く明治35年5月5日時恰も日露の風雲急なる最中に旧第七師団長大迫尚敏氏主祭の下に練兵場に小祠を設け北海道に於ける国事殉難者並開拓に殉じた屯田兵の招魂祭典を挙行したのに始まる。
日露戦争勃発するや我が北鎮師団は旅順の功撃奉天の大会戦に参加し、勇名を謳はれたが、その戦歿者は無慮4,500名に及び戌辰、西南、日清の諸役の戦歿英霊に加えて五千柱に垂んとするに至ったのでここに社殿創建の議が興り、明治43年時の第七師団長上原勇作並北海道長官河島醇両氏の発起の下に道内有志の賛助を得て、現在地に社殿を建築し之等英霊を祀り爾来毎年6月5、6日を例祭と定め、師団長、長官交互に祭主となり軍官民挙げて盛大な祭典を執行し来った。
かくて昭和時代に入るや境内狭隘を告げ、社殿亦腐朽して本道随一の招魂場として遺憾の点尠からざるため、昭和10年師団長杉原美代太郎氏長官佐上信一氏等全道68名の要路の人々が発起の下に道内より浄財を募りよく所期の目的を達成し昭和10年4月26日北海道招魂社として内務大臣より指定され神徳いよいよ遍くするに至った。昭和14年4月1日官制の改まる処により北海道護国神社と改称し、更に社頭の整備を進め、茲に全道の英霊の総祀社として名実を兼備するに至った。
昭和6年満州事変以来支那事変はもとより、昭和16年12月8日大東亜戦争の勃発するや、北鎮の将兵は或は極北のアッツ島に或は灼熱の大陸の曠野に、或は南海の孤島に、或は洋上に、大空に勇躍征途に上って祖国防衛の任に当り、第二次世界大戦の最終戦争たる沖縄の玉砕に至るまで実に55,000柱の尊い身命を祖国に捧げられたが、英魂は永遠に故郷のこの御社に鎮まり給うた。
昭和20年8月15日大東亜戦争の終結を見るや占領政策の然らしむる処により神社の存立すら危殆に瀕する悲運に際会したが祀職並関係者命を堵して之を護持し祭祀遂に一日も滞ることなく国家独立の後は道民崇敬の至誠は澎湃として興り、その例大祭の如きは今や全道の一大祭典として盛大を謳はるるに至った。然るに終戦後合祀する英霊は実に戦前の12倍に及び樺太関係英霊の合祀者も数を増し、社殿の狭隘年次その度を加えるに至ったので昭和35年4月造営奉賛会を結成し町村金五氏(知事)を総裁に再び全道市町村より浄財を募り茲に社殿の大改築をなし昭和40年4月完工した。
平成23年には御創祀110年を記念し、その事業として5ヵ年を懸けて御本殿以下屋根銅板の葺替工事を完工し、現在に至る。
(北海道護國神社公式HPから引用)
名称 | 北海道護國神社 |
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読み方 | ほっかいどうごこくじんじゃ |
通称 | 北海道護国神社 |
参拝時間 | 社務所:9:00~17:00 |
トイレ | 参集殿横(冬季は閉鎖) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0166-51-9191 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.hokkaido-gokoku.org/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
全国護国神社めぐり |
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ご祭神 | 戊辰の役から大東亜戦争までの北海道・樺太関係の国事殉難者 |
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創建時代 | 明治35年5月5日 |
創始者 | 大迫尚敏 |
本殿 | 総流造 |
文化財 | 平成館(登録有形文化財) |
ご由緒 | 本神社は遠く明治35年5月5日時恰も日露の風雲急なる最中に旧第七師団長大迫尚敏氏主祭の下に練兵場に小祠を設け北海道に於ける国事殉難者並開拓に殉じた屯田兵の招魂祭典を挙行したのに始まる。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印博物館お守り祭り |
概要 | 北海道護國神社(ほっかいどうごこくじんじゃ)は、北海道旭川市に鎮座する護国神社。北海道・樺太関係の戦没者等の国事殉難者を祀る。北海道招魂社を経て昭和14年(1939年)4月から北海道護國神社となる。戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る国事殉難者が祀られ、祭神は63,141柱におよぶ。 |
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歴史 | 沿革[編集] 第7師団長大迫尚敏陸軍中将(後、陸軍大将)を祭主として明治35年(1902年)5月5日・6日の両日第一回招魂祭を執り行ったのが始まりで、後に神社はこの年を神社創祀の年と定める。その後、明治43年(1910年)6月第7師団長上原勇作中将(後、元帥陸軍大将)と北海道庁長官河島醇の連名によって招魂社建設願を提出、提出先は北海道庁長官で直ちに建設と相成り、明治45年(1912年)5月建設工事が終る。同年6月4日落成式を挙行し、翌5日・6日の両日例大祭を執行する。 大正5年(1916年)9月16日、それまで第7師団管理招魂社であったものを北海道招魂場と改める。昭和9年(1934年)6...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「北海道護國神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99513693 |
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