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ほっかいどうごこくじんじゃ

北海道護國神社

北海道 新旭川駅

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0166-51-9191

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
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パーキング
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あり

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おがまん@小笠原章仁
2022年10月07日(金)
827投稿

北海道護国神社の冬季限定御朱印についてはすでに発表されていましたが、頒布開始日は旭岳の初冠雪が発表された日ということでした。
そして初冠雪当日は、「初冠雪」という文字が入れられるとのことでした。
運よく初冠雪当時に参詣できるのか、気象台の発表に注目をしていました。

そして迎えた10月5日。
上空には寒気が流れ込んできたということで、前日の夜から冬のような寒さになってきました。
午前中には利尻山の初冠雪が発表され、黒岳や旭岳では初雪の便りが届きました。
でもなかなか初冠雪の発表はありませんでした。

この日は護国神社さんでもやきもきしていたようです。
朝から気象台に何度も問い合わせていたようですが、初冠雪の定義は「山麓の気象官署から見て、山頂付近が初めて積雪などで白く見えること」です。
ですから、仮に山頂が冠雪していても、曇っていて気象台から見えなければ、それは初冠雪とはなりません。
なかなか気象台からの発表はありませんでした。

でもこの日の15時過ぎになってから、ようやく気象台から旭岳の初冠雪が発表されました。
こうなると初冠雪の特別御朱印はどうするのか、北海道護国神社からの発表が気になりました。

その後、北海道護国神社からも発表がありました。
気象台の発表が遅い時間となったため、初冠雪の限定御朱印は10月6日限りで頒布するとのことです。

ということで、朝に時間休を取って美瑛から旭川まで向かいました。
9時前に到着して参拝をし、授与所にはちょうど9時に到着しました。
日付は希望すれば初冠雪日の10月5日と入れていただけるとのことですが、そのまま今日の日付を入れていただき、無事に初冠雪限定御朱印を拝受しました。
今日から頒布するとの発表でしたから、もしかしたらこれが第一号かもしれません。
そう信じて大事にしようと思います。

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惣一郎
2022年08月05日(金)
1167投稿

【北海道 古社巡り】

北海道護國神社(ほっかいどう・ごこく~)は、北海道旭川市花咲町にある神社。旧社格は内務大臣指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は北海道・樺太関係の戦没者等の国事殉難者63,159柱。

1902年に第7師団(北海道に置かれた大日本帝国陸軍の常備師団)の師団長・大迫尚敏陸軍中将を祭主として招魂祭を執行したのが始まり。1912年に第7師団管理の招魂社として設立された。1916年には師団管理を離れ、北海道招魂場と改められた。1935年北海道招魂社と改称、1939年に内務省令により指定護国神社とされ北海道護國神社と改称した。その後、1944年に樺太護国神社が創建され、太平洋戦争後、これを合祀した。戦後、GHQ対策で一時「北海道神社」と称したが、1951年に「北海道護國神社」に復称した。1968年には昭和天皇、皇后がともに親拝されている。

当社は、JR宗谷本線・新旭川駅から石狩川を挟んで北西へ道のり2km、石狩川北西岸の平地にある旭川・花咲スポーツ公園南西端にある。境内角の広い入口を入り、幅の広い砂利の参道を進むと、南西向きに立つ巨大な鳥居が現れ、そこから社殿までは真っ直ぐな太い参道が200m以上続く。社殿周りは真っ赤な瑞垣で囲われ、神門をくぐると荘厳な雰囲気。社殿前には巨木が聳え、左右対称の美しい社殿を引き立てている。広い境内には、樺太・北海道を模した池と庭園、近代建築の平成館、各種慰霊碑などがあり、見どころも多い。

今回は、旧内務省指定護国神社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、ぱらぱらと参拝者が訪れていた。

北海道護國神社の建物その他

境内西端角にある<社号標>。

北海道護國神社の建物その他

参道左手にある<北鎮 安全神社>の入口。

北海道護國神社の鳥居

参道が左斜め前方向に曲がって、<一の鳥居>と<社号標>。

北海道護國神社の鳥居

参道を進むと、純白の<神橋>を渡る。

北海道護國神社(北海道)

神橋の左側。樺太以北が形取られている。

北海道護國神社の庭園

神橋の右側。樺太以南が形取られていて、この先は<樺太・北海道池>に繋がっている。

北海道護國神社(北海道)

参道進んで<二の鳥居>。

北海道護國神社(北海道)

二の鳥居の先に、<神門>が見えてくる。

北海道護國神社(北海道)

参道左側の<手水舎>。カバーで保護されている手水盤は「御手洗石(みたらし)金剛」と言って、1941年夏大旱魃の時、神居古潭の河底深く発見されたもので、約15トンの重さがある。

北海道護國神社の山門

神域入口の構え。ここからすでに美しい造形。

北海道護國神社の山門

神域入口の<神門>。

北海道護國神社の山門

神門の梁上の扁額には、「天鑒衷腸」とある。「天衷腸を鑒す(てんちゅうちょうをみそなわす)」と読み、神様は人の真心をご覧になるっていう意味らしい。載仁親王の御揮毫。

北海道護國神社(北海道)

神門をくぐったところから、神域全景。左右対称に美しく整った造り。綺麗に掃き清められている。拝殿前の巨木は、樹齢400年のニレの木。

北海道護國神社の建物その他

神門を入った左側。臨時の授与所みたい。

北海道護國神社(北海道)

神門を入った右側。

北海道護國神社(北海道)

参道左側の<狛犬>。線が太く力強いが、護國神社でよく見かける筋骨隆々の野獣系ではなく、少しアニメっぽいタイプ。

北海道護國神社(北海道)

参道左側の<狛犬>。

北海道護國神社(北海道)

<拝殿>遠景。彩色が鮮やかで美しい。翼殿とのバランスが良い。

北海道護國神社(北海道)

<拝殿>全景。

北海道護國神社の本殿

<拝殿>正面。

北海道護國神社の本殿

<拝殿>内部。

北海道護國神社の建物その他

拝殿から振り返って神域全景。

北海道護國神社(北海道)

拝殿を斜めから眺めると、拝殿後ろの<本殿>がわずかに見える。

北海道護國神社(北海道)

逆サイドからも<社殿>全景。

北海道護國神社(北海道)

神域を出て、あらためて神域を望む。神門前の巨木も大きい。

北海道護國神社の建物その他

ここからは、境内の石碑類を見て廻る。まず参道近くにある、1965年の社殿造営記念碑。

北海道護國神社の像

こちらは参道右側の木立の中にある<母の像>。

北海道護國神社の建物その他

こちらは神門付近、参道右手の<一木支隊 鎮魂碑>。1942年にガダルカナル島で戦死した、一木支隊の鎮魂碑。

北海道護國神社(北海道)

こちらは二の鳥居付近、参道右側の<平成館(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)>。1935年に帝冠様式で建てられた近代建築で、現在は国の登録有形文化財。

北海道護國神社(北海道)

平成館の前あたりに立っている<北海道招魂社>の社号標。

北海道護國神社(北海道)

平成館の横あたりに立っている<殉役軍馬之碑>。

北海道護國神社(北海道)

殉役軍馬之碑の近くにある石碑。説明書きがなく、字が達筆で読めない...(^_^;)

北海道護國神社の自然

小さめの蓮の葉で埋め尽くされている<樺太北海道池>。

北海道護國神社の建物その他

神橋近くの参道左側にある<社務所>。御朱印はこちら。

北海道護國神社(北海道)

神橋近くの参道左側にある<水琴窟>。石に水を掛けるとスピーカーから音が聞こえるハイテクバージョン。(^_^;)

北海道護國神社の末社

水琴窟の近くにある<北鎮 安全神社>の社殿。自動車御祓いの参拝者が何人か来ていた。

北海道護國神社の建物その他

最後に、国道40号線の交差点から見た境内入口。大きくて非常に荘厳。(^▽^)/

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北海道護國神社の基本情報

住所北海道旭川市花咲町1-2282-2
行き方

電気軌道バス・道北バス「護国神社前」停留所下車徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称北海道護國神社
読み方ほっかいどうごこくじんじゃ
通称北海道護国神社
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0166-51-9191
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.hokkaido-gokoku.org/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神戊辰の役から大東亜戦争までの北海道・樺太関係の国事殉難者
創建時代明治35年5月5日

Wikipediaからの引用

概要
北海道護國神社(ほっかいどうごこくじんじゃ)は、北海道旭川市に鎮座する護国神社。北海道・樺太関係の戦没者等の国事殉難者を祀る。北海道招魂社を経て昭和14年(1939年)4月から北海道護國神社となる。戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る国事殉難者が祀られ、祭神は63,141柱におよぶ。
歴史
沿革[編集] 第7師団長大迫尚敏陸軍中将(後、陸軍大将)を祭主として明治35年(1902年)5月5日・6日の両日第一回招魂祭を執り行ったのが始まりで、後に神社はこの年を神社創祀の年と定める。その後、明治43年(1910年)6月第7師団長上原勇作中将(後、元帥陸軍大将)と北海道庁長官河島醇の連名によって招魂社建設願を提出、提出先は北海道庁長官で直ちに建設と相成り、明治45年(1912年)5月建設工事が終る。同年6月4日落成式を挙行し、翌5日・6日の両日例大祭を執行する。 大正5年(1916年)9月16日、それまで第7師団管理招魂社であったものを北海道招魂場と改める。昭和9年(1934年)6...Wikipediaで続きを読む
引用元情報北海道護國神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=93689283

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