かみくらじんじゃ
神倉神社(熊野速玉大社摂社)和歌山県 新宮駅
日の出〜日没
熊野速玉大社摂社
ゴトビキ岩を御神体
御祭神 高倉下命 天照大神
熊野の神が降臨した地
絶壁の上の巨岩 ゴトビキ岩に神がやどると信じられていました。
神倉神社の入口に架かる橋朱塗りの太鼓橋神橋を渡ると神倉神社の境内です。
正面に鎮座されている
一殿にニ社の
猿田彦神社 猿田彦命
神倉三宝荒神社 火産靈神 誉田別命
です。
社殿の横には滝が❣️
この滝は日頃、水量が少ないとの事でしたが😱さすが台風🌀の次の日、かなりの水量でした👍
そしてゴトビキ岩へ
自然石を組み合わせて積み重ねた「鎌倉積み」と言われる急峻な石段を538段登のぼるんです😱
台風🌀で朝まで降り続いていた雨‼️
足場も滑りやすく何かあれば大変
行きたかったのですが断念しました😞
(ゴトビキ→新宮の方言でヒキガエル)
下から遥拝です。
御朱印は熊野速玉大社で授与
ゴトビキ岩の写真は熊野速玉大社でいただいたご由緒からです。
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は建国の功臣熊野三党(字井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。
名称 | 神倉神社(熊野速玉大社摂社) |
---|---|
読み方 | かみくらじんじゃ |
参拝時間 | 日の出〜日没 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり 真ん中に神倉神社と書かれ、右上に熊野三山本宮天盤盾の印、真ん中に神倉社の印が押されています。
|
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0735-22-2533(熊野速玉大社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
熊野曼荼羅三十三ヶ所 第21番 | 御本尊:天照大神、高倉下命 御詠歌: 三くま野の 神くらやまの いしだたみ のぼりはてても 楢いのるかな |
---|
ご祭神 | 《主》天照大神,高倉下命 |
---|---|
創建時代 | 景行天皇五十八年(128) |
文化財 | 御燈祭り(国重要無形民俗文化財) |
ご由緒 | 熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
|
体験 | 世界遺産御朱印祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ)は和歌山県新宮市の神社。熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 熊野信仰が盛んになると、熊野権現が諸国遍歴の末に、熊野で最初に降臨した場所であると説かれるようになった(「熊野権現垂迹縁起」)。この説に従えば、熊野三所大神がどこよりも最初に降臨したのはこの地であり[1]、そのことから熊野根本神蔵権現あるいは熊野速玉大社奥院と称された[2]。平安時代以降には、神倉山を拠点として修行する修験者が集うようになり、熊野参詣記にもいく度かその名が登場する。『平家物語』巻10の平維盛熊野参詣の記事に登場するほか、応永34年(1427年)には、足利義満の側室北野殿の参詣記に「神の蔵」参詣の記述が見られる[2]。 鎌倉時代の建長3年(1251年)2月14...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通機関[編集] JR紀勢本線新宮駅下車 熊野交通の路線バスで「裁判所前」下車、または徒歩15分。 |
引用元情報 | 「神倉神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E5%80%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101373050 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0