あすかじんじゃ
阿須賀神社
和歌山県 新宮駅
境内自由
資料館:9:00〜17:00
御朱印 | 真ん中に阿須㚙神社と書かれ、熊野新宮阿須賀神社の印、左下に阿須賀神社の印が押されています。
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 境内に無料駐車場あり |
主神事解男命と熊野三所権現が祀られています。中世の熊野詣はこの神社に詣でるのが常だったとされる。
御朱印と御城印をいただきました。
折角なので城跡にも訪れました。
徐福の宮
直ぐ横にあります。
御城印
新宮(丹鶴)城跡
新宮(丹鶴)城跡からみた景色
新宮(丹鶴)城跡からみた景色
熊野速玉神社からほど近い阿須賀神社に伺いました
創建は第5代天皇である孝昭天皇の代と伝えられるそうです
ということは紀元前でしょうか、想像もつかないほど長い歴史があるのですね
社務所にお出かけ中の張り紙があり、御朱印をいただくことは叶いませんでした
鳥居から境内を望むと、拝殿と、その向こうに蓬莱山が見えます
手水舎
朱塗りの拝殿が映えます
拝殿の扁額は「熊野阿須賀神社」
境内社の阿須賀稲荷
可愛らしいお稲荷さん
御由緒
子安之社
青空と緑と朱がきれい
熊野詣が盛んになった平安時代には「阿須賀王子」と称されたそうです
熊野川の河口近くに位置し「浅州処」を守護し航海・延命・生産・発育の御霊力を持つと言われています。第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀と伝わり、古い記録には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています。新宮が初め書物に文字として登場したのは、熊野神邑でありますが、熊野神邑は当神社の古名であり、神威発祥の地として広く人々に敬われました。「中右記」「平家物語」にも当社への参詣記録が見えるなど、熊野詣の隆盛に伴い当社も発展してきました。歴代の有力者達からも深い信仰を集め、元享二年(1322)には阿須賀権現が現在の東京北区飛鳥山へ勧請されるなど全国各地に当社の末社が見られます。
境内からは、弥生〜古墳時代の住居跡や祭祀跡遺跡が発見され、社殿背後の蓬莱山から大量の御正体が出土しており、熊野最古の原始信仰形態を実証し、権現発祥源として確認されました。
また蓬莱山には、中国の秦時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています。
名称 | 阿須賀神社 |
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読み方 | あすかじんじゃ |
通称 | 阿須賀さん |
参拝時間 | 境内自由
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参拝料 | 境内自由、資料館:大人210円・子供100円 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に阿須㚙神社と書かれ、熊野新宮阿須賀神社の印、左下に阿須賀神社の印が押されています。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0735-22-3986 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《合》黄泉道守命,建角美命,《主》事解男之命,《配》熊野夫須美大神,家都御子大神,熊野速玉大神 |
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創建時代 | 孝昭天皇五十三年 |
札所など | 熊野曼陀羅三十三ヶ所霊場第23番札所 |
文化財 | 阿須賀王子跡(国指定重要文化財) |
ご由緒 | 熊野川の河口近くに位置し「浅州処」を守護し航海・延命・生産・発育の御霊力を持つと言われています。第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀と伝わり、古い記録には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています。新宮が初め書物に文字として登場したのは、熊野神邑でありますが、熊野神邑は当神社の古名であり、神威発祥の地として広く人々に敬われました。「中右記」「平家物語」にも当社への参詣記録が見えるなど、熊野詣の隆盛に伴い当社も発展してきました。歴代の有力者達からも深い信仰を集め、元享二年(1322)には阿須賀権現が現在の東京北区飛鳥山へ勧請されるなど全国各地に当社の末社が見られます。
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体験 | 世界遺産御朱印博物館重要文化財アニメなどサブカル札所・七福神巡り伝説 |
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