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ひえじんじゃ

日枝神社
公式岐阜県 高山駅

・参拝可能時間
 境内に施錠はしていません。24時間参拝は可能です。
・対応できる時間
 午前8時30分~午後4時30分
・御朱印受付時間
 午前8時30分~午後4時30分
・ご祈祷の受付時間
 午前9時~午後3時30分
・休務日 なし
 

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。
地にはご神木の大杉と、神社のマスコット(神使)の猿のイラストが。
御朱印帳にはお神輿と飛騨の山々が描かれています。

限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり

■お書き入れ
・本殿の御朱印
・御旅所(中橋の袂にあり)ではお書き入れはできません
■書置き
・本殿の御朱印
・末社 富士神社の御朱印
(別に御旅所限定の書置きを準備しています。)

郵送対応
-
ありません
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内に約15台、西石段下に駐車可能
大型バスの場合は西石段下(森下会館前)に2台可能ですが、
中橋側からのみ交通可能ですのでお願いします 
大型バス駐車を希望される方は事前に社務所まで連絡ください

日枝神社について

『君の名は。』宮水神社のモデル?


気多若宮神社と共に、アニメ映画『君の名は。』(2016年)に登場する「宮水神社」のモデルではないかと考えられている神社の1つです。
そのほかに、米澤穂信の『古典部シリーズ』のアニメ化作品『氷菓』に登場した「荒楠神社」のモデルになっている。

例祭・神事

行事詳細情報

□月次祭 毎月1日 9時から

 神様に感謝して、国民の安泰と繁栄を願う祭祀です。
    どなた様もご参拝いただけます。(玉串料1,000円)
   参列を希望される方は8時50分までに社務所にお越しください。拝殿へご案内いたします。 

例祭・神事をもっと見る|
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歴史

遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。

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日枝神社の基本情報

住所岐阜県高山市城山156番地
行き方

JR高山駅より徒歩30分
宮川にかかる赤い中橋から徒歩15分
(中橋の袂に日枝神社の御旅所がありますのでそちらで聞いても良いです。但し、留守の時もあります)

アクセスを詳しく見る
名称日枝神社
読み方ひえじんじゃ
通称飛騨山王宮
参拝時間

・参拝可能時間
 境内に施錠はしていません。24時間参拝は可能です。
・対応できる時間
 午前8時30分~午後4時30分
・御朱印受付時間
 午前8時30分~午後4時30分
・ご祈祷の受付時間
 午前9時~午後3時30分
・休務日 なし
 

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

無料

トイレあり 参道の途中、駐車場の前(社務所対応可能時間のみ開放しています)
御朱印あり

真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。
地にはご神木の大杉と、神社のマスコット(神使)の猿のイラストが。
御朱印帳にはお神輿と飛騨の山々が描かれています。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり

■お書き入れ
・本殿の御朱印
・御旅所(中橋の袂にあり)ではお書き入れはできません
■書置き
・本殿の御朱印
・末社 富士神社の御朱印
(別に御旅所限定の書置きを準備しています。)

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号0577-32-0520
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスhie-jinja156@bizimo.jp
ホームページhttps://hiejinja.com/
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》大山咋神
ご由緒

遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。

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