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御朱印について
御朱印
あり

真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。
地にはご神木の大杉と、神社のマスコットの猿のイラストが。
御朱印帳にはお神輿と飛騨の山々が描かれています。

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御朱印帳
あり
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駐車場
-

日枝神社について

『君の名は。』宮水神社のモデル?


気多若宮神社と共に、アニメ映画『君の名は。』(2016年)に登場する「宮水神社」のモデルではないかと考えられている神社の1つです。
そのほかに、米澤穂信の『古典部シリーズ』のアニメ化作品『氷菓』に登場した「荒楠神社」のモデルになっている。

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惣一郎
2022年09月04日(日)
959投稿

【飛騨國 古社巡り】

日枝神社(ひえ~)は、岐阜県高山市城山にある神社。旧社格は県社。祭神は大山咋神。別名「飛騨山王宮日枝神社」。高山市の高山城下町南半分(安川通り以南)の氏神。春の例祭「山王祭」は、秋の櫻山八幡宮の例祭とともに「高山祭」(国指定の重要無形民俗文化財)として知られている。

創建は平安時代後期の1141年、飛騨国国司の平時輔が近江國の日吉神社を勧請したのが始まり。1181年に木曾義仲の侵攻により社殿を焼失して別地に遷座し、1586年に金森長近が飛騨国入りし高山城に入城すると、1605年に高山城の鎮護神として現在地に遷座した。1692年に飛騨国は天領となり高山城は廃城となったが、その後も高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神として崇敬された。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。

当社は、JR高山本線・高山駅の南東1.5kmの小丘の南西麓、高山城址の南側にある。境内はきれいに整備された森の中で、斜面を登って行く境内の造りや森林の中の佇まいは独特で、大社の風格を持ちながらも神秘的な雰囲気がある。鳥居をくぐり数十段の階段を登った先にある社殿は大きく堂々としており、その脇に大きな旧社殿を使った境内社(富士神社)があって、全体としてなかなか見事。

今回は、岐阜県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、土砂降りの悪天候にもかかわらず、自分たち以外にも何組もの家族連れなどが訪れていた。

日枝神社(岐阜県)

神域入口の、真っ赤な<鳥居>。

日枝神社(岐阜県)

鳥居の左手にある、大きな<手水舎>。大きな岩の手水盤が見事。

日枝神社(岐阜県)

鳥居をくぐり、階段を登って社殿に向かう。

日枝神社(岐阜県)

階段を登ったところからの眺め。巨木に挟まれた社殿が眼前に現れる。
右側の大木は<大スギ>で、推定樹齢1000年、樹高39m、目通り7m。

日枝神社(岐阜県)

<拝殿>全景。昭和戦前の1938年の造営。

日枝神社(岐阜県)

拝殿に向かって左手奥から見て廻る。こちらは<山王稲荷神社>。

日枝神社(岐阜県)

つづいてこちらは<天満神社>。

日枝神社(岐阜県)

天満神社の近くにある<筆塚>。

日枝神社(岐阜県)

拝殿の左側にある建物。表札はないけど祭器庫か何かかな。

日枝神社(岐阜県)

<社殿>全景。本殿は瑞垣で囲われていて、一段高いところにある。

日枝神社(岐阜県)

拝殿の右側に、瑞垣の入口のような場所があるので行ってみる。その手前には、あらためて<手水舎>。

日枝神社(岐阜県)

まず拝殿後ろの<幣殿>と<本殿>。

日枝神社(岐阜県)

本社社殿に向かって建つ<富士神社>。旧本社本殿で江戸時代中期1748年の造営。
1938年に本社社殿新築に伴い末社本殿となったとのこと。

日枝神社(岐阜県)

本社社殿の右側にある<産靈神社>。

日枝神社(岐阜県)

一通りの拝観を終えて、階段を下る。

日枝神社(岐阜県)

鳥居、手水舎の左手(北西側)にある<神輿庫>。

日枝神社(岐阜県)

鳥居の右手にある<社務所>。御朱印はこちら。

日枝神社の自然

最後に印象に残った<大スギ>。古社ならではの佇まいを演出している。(^▽^)/

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歴史

遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。

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日枝神社の基本情報

住所岐阜県高山市城山156番地
行き方
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名称日枝神社
読み方ひえじんじゃ
通称飛騨山王宮
御朱印あり

真ん中に日枝神社、その右に飛騨山王宮と書かれた御朱印です。
地にはご神木の大杉と、神社のマスコットの猿のイラストが。
御朱印帳にはお神輿と飛騨の山々が描かれています。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》大山咋神
ご由緒

遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。(今、この地を「元山王」とよんでいる。)幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。

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