ひだてんまんぐう
飛騨天満宮岐阜県 高山駅
社務所/9:00~16:00
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楽しみ方延喜元(901)年正月、藤原時平の讒言にあい、右大臣の道真公は太宰権帥に左遷され、九州太宰府に配流となりました。公の三男菅原兼茂公も飛騨権掾として飛騨高山 花里の地に謫居されました。
延喜3年(903)父の死を聞いて悲嘆のあまり、この地にあった梅の木に自ら父の像を刻み道真公の御霊を迎えて祠を建立されたのです。
延長元年(923)道真公をはじめ一族の無実が認められ、勅許を得て帰都の際、飛騨の里人にいつまでも祭祀を継続するように懇請され、本官に復帰されました。この年が当天満宮の創建です。
令和5年(2023)創建1100年を迎え、奉祝祭が盛大に執り行われました。
現在も九州太宰府天満宮の本殿後方に兼茂公の廟があり太宰府天満宮直系の由緒深い神社です。
代々国司・領主の崇敬が厚く、天正年間には松倉城主三木自綱によって再建され、正保年間には領主金森重頼が病気平癒の報謝として本殿を造営しました。
現在の本殿は平成4年(1992)に造営しました。 境内には、1689年に建てられた飛騨地方最古の石造りの鳥居などがあり、平成14年(2002)菅原道真没後1100年を記念して太宰府天満宮より「肥後駒止」「大宰大弐」という紅梅と白梅が奉納されております。
参集殿「梅香閣」は創建1100年記念事業として平成29年(2017)に造営しました。
名称 | 飛騨天満宮 |
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読み方 | ひだてんまんぐう |
参拝時間 | 社務所/9:00~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 0577-32-1466 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://hidatenmangu.com/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》菅原道真,《配》天照皇大神,松尾大神 |
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文化財 | 【高山市文化財】小鳥居、太刀「長光」、連銭葦毛文様彩色木馬、春慶批目曲物及び溜塗漆絵卓 |
ご由緒 | 延喜元(901)年正月、藤原時平の讒言にあい、右大臣の道真公は太宰権帥に左遷され、九州太宰府に配流となりました。公の三男菅原兼茂公も飛騨権掾として飛騨高山 花里の地に謫居されました。
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体験 | 祈祷お宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り |
概要 | 飛騨天満宮(ひだてんまんぐう)は、岐阜県高山市にある神社(天満宮)である。 学問の神様・菅原道真が祭られている。 敷地内には約100本の梅が植樹されており、毎年3月中旬から4月中旬まで梅を楽しむことが出来る。 |
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歴史 | 沿革[編集] 社伝によると、903年(延喜3年)、飛騨権掾菅原兼茂が父親の菅原道真が大宰府で亡くなったことを聞き、祠を建て、自らの手で彫った木像を祀ったのが始まりという。923年(延長元年)、菅原兼茂が都に帰るとき、この木像を村民に託したという。菅原兼茂は道真の三男で、901年(昌泰4年)の昌泰の変により、他の兄弟と同様に左遷され、飛騨国権掾になっている。 やがて荒廃したが、天正年間に松倉城城主三木自綱により再興される。 1645年(正保2年)には、高山城城主金森重頼が社殿を再建する。 2002年(平成14年)、菅原道真没後1100年を記念して太宰府天満宮より、京都から太宰府天満宮まで飛...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通機関[編集] 高山本線高山駅より徒歩15分。 |
引用元情報 | 「飛騨天満宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE&oldid=104877873 |
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