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たまきじんじゃ

玉置神社
奈良県 大和二見駅

御朱印 (1種類)

玉置神社でいただける御朱印は1種類です。

玉置神社の御朱印

玉置神社の御朱印

300円
右上に御神紋と「玉置山」の印に重ねて「奉拝」と墨書きされています。
真ん中に宝珠の印と神社印が押され、その上に「玉置神社」と墨書きされています。
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御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり(約50台)

巡礼

その他の巡礼の情報

熊野曼陀羅三十三ヶ所霊場(第13番札所)

玉置神社について

国内有数のパワースポット


山奥にあり辿り着くことすら困難なため、呼ばれた人しか行けない聖地とされている。
アニメ『RDG〜レッドデータガール』で、鈴原泉水子が住んでいる神社・玉倉神社のモデル。

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鈍行丸まぁくん
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2026年04月12日(日)42投稿

玉置神社(たまきじんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村にある神社。大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂直下の9合目に位置し、大峯奥駈道の靡(なびき)のひとつである。

主祭神
国之常立神
伊弉諾尊
伊弉冊尊
天照大神
神日本磐余彦命

社格等
旧郷社

創建
伝崇神天皇61年(紀元前37年)

本殿の様式
入母屋造

例祭
■例大祭 10月24日
■三柱社例祭(初午祭)3月初午の日

社務所および台所、梵鐘は国の重要文化財。境内地の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物。
2004年7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。

本社本殿 国之常立神・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦命

摂社三柱社 - 倉稲魂神・天御柱神・国御柱神
末社若宮社 - 住吉大神・八幡大神・春日大神
末社神武社 - 迦具土神・速玉男神・高倉下神
末社玉石社 - 大巳貴命
末社白山社 - 菊理媛神
末社山之社 - 大山祇神
大日堂社 - 役小角

桁行3間・梁間3間、入母屋造の建物で、新造・修覆あわせて数枚の棟札が残るが、様式から寛政6年(1794年)の再建と見られている

社伝の『玉置山縁起』では崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に、熊野本宮(和歌山県田辺市本宮町)とともに創建されたと伝えられ
古来より十津川郷の鎮守であった。
しかし、『旧事紀』には崇神天皇61年の記事はなく、玉置神社のことも伝えられていない一方で、『水鏡』伝の新宮創祀と同年であることから作為と考えられ、創建年代は不詳である『玉置山縁起』をはじめとする社伝は、玉置山山頂近くに露頭する玉石を神体とする末社玉石社を玉置の称の由来とし、地主神または奥の院と位置づけており、山容を神奈備として崇拝することが起源であったと考えられている。

この玉石社では大己貴命が祀られており、同社には社殿・祠の類は無く、白い玉石群に囲まれ、地中からわずかに一部が露出している黒い丸石を御神体としている。この黒い丸石の地表に出ているのは、この石のごく一部分に過ぎず、その地中に隠れている部分は測り知れないほどの大きさであるともいわれており、神武天皇が神武東征の折、この石の上に神宝を置いて勝利を祈ったとされる。また役行者が竜王の脳から出た宝珠を、あるいは弘法大師(空海)が自分の宝珠を、この玉石群の下に埋め祀ったといわれている。

玉置山を熊野三山の奥の院と称するのは江戸時代中期頃に初見され、寛政年間の玉置山別当高牟婁院宛沙汰書は「玉置山之儀熊野三山奥院格別の由緒ニ付」と記し、『紀伊続風土記』は熊野本宮に玉置神社の遥拝所があったと伝える。

神仏習合の後には、不動堂や大日堂を中心とする修験霊場となり、多数の塔頭・社坊が営まれた。社殿や祭神には時期により異同があり、今日にない社殿や、今日と社殿を異にする祭神も見られる。

鎌倉時代の寺社縁起『諸山縁起』に「玉木宿」とあるほか、『金峯山本縁起』に挙げられる百二十宿の中に「玉水宿」の名で記され、室町時代には入峯の宿となった。

大峯・金峯・熊野を結節する要地として順峯・逆峯のいずれの大峯奥駈行においても重視され、その過程において社寺としてのかたちを得たと考えられる。

江戸時代の聖護院門跡の大峯奥駈行においては峯中結願所として終点になっていた。

慶長年間の頃、社坊の一つ笹坊が、戦乱に乗じて十津川郷で恣意的な徴税を行ったところ、十津川の住人の訴えにより江戸幕府の聞き及ぶところとなり、笹坊とその共謀者は追放され、笹坊の所領は幕府に差し押さえられた。

その後、元禄年間に至って社堂造営のため笹坊の旧所領の山林を伐材して財源とすることを試みたが、口添えする本寺がないため幕府に許されず、元禄4年(1691年)、安井門跡を本寺として頼み込んで造営を成し遂げた。

以来、安井門跡の支配下に入ったが、別当が神領の立木を乱伐する旨が聖護院の関心をひき、門跡入峯の際の要衝を保護するため、享保12年(1727年)からは聖護院門跡が玉置山を支配下におさめた。

社家・神職と社僧の間には長きに渡って確執があったが、このように相次いで有力な門跡の支配下に入ったことにより、社僧が優位に立った。

聖護院門跡の下では、別当寺院の高牟婁院が建立され。

7坊15か寺を従えて繁栄をみたものの、門跡の威光を借りた社僧が玉置山神領の山林だけでなく、近隣諸村の山林をも横領して聖護院領としたため、十津川郷との関係は疎遠なものとなった。
一山の収入も高牟婁院に差し押さえられ、社家には割り当てられなかった。
社坊は衰退して数を減らした。

明治の神仏分離に際しては、十津川村内の他の寺院の例に漏れず、玉置山の仏教諸堂は破壊され、仏像なども破棄された。

玉置山参道入口のある大峯奥駈道の本宮辻の近くには、「十津川五十余ヶ寺供養塔」なる文字の記された卒塔婆が今日に残っている。

伝説では、平資盛が秘かに安徳天皇を擁し三種の神器の剣と鏡を奉持して玉置山中に隠れ、その子孫が玉置氏と名乗り、玉置神社の社掌となったとされる。

近くの天河神社とともに一部の神道関係者から、非常に重要視されているが、最近特にその傾向が強くなってきている。

所在地
奈良県吉野郡
十津川村玉置川1

玉置神社の御朱印

直書き御朱印は2回目。御朱印帳は6冊目終盤。

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歴史

当神社のご草創について「玉置山縁起」によれば、神武天皇ご東征の折、熊野の浜辺に上陸され、八咫烏の案内を得て、大和の地をめざし、その道すがら、玉置山に至りて、身の安全を祈願され「十種の神宝」を奉じたと伝えられています。
降って第十代・崇神天皇が「天下安泰」や「悪魔退散」を祈願され創建されたとも伝えられています。
この神社が世に名を知られる様になったのは、熊野より吉野大峯山に至る修験道が開かれて以来、千三百年の伝統を持ち、豊かな自然と人々の篤い信仰によって支えられています。

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玉置神社の情報

住所奈良県吉野郡十津川村玉置川1
行き方

公共交通機関での到達は困難。
車利用で、JR紀勢本線「新宮」駅から約90分、熊野本宮大社から約45分。
バス利用の場合、新宮駅から「十津川温泉」まで120分、十津川温泉から玉置神社まではタクシー利用。

玉置神社の基本情報

名称玉置神社
読み方たまきじんじゃ
通称玉置権現
参拝時間

社務所:8:00〜17:00

参拝にかかる時間

60分

参拝料

本殿社務所内:大人500円

トイレ駐車場にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0746-64-0500

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.tamakijinja.or.jp

巡礼の詳細情報

熊野曼荼羅三十三ヶ所

第13番

ご本尊・ご祭神:国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照皇大神、神日本磐余彦命

御詠歌:

神楽歌 熊野成 玉置宮乃 弓神楽 弦音須礼波 悪魔退久

詳細情報

ご祭神《主》国常立尊,伊弉諾尊,伊弉冊尊
《配》天照大神,神日本磐余彦尊
ご神体玉置山
創建時代崇神天皇時代
創始者崇神天皇(信仰は神武天皇)
本殿入母屋造内陣三社
文化財

梵鐘、社務所(国指定重要文化財)
杉の巨樹群(県指定天然記念物)

ご由緒

当神社のご草創について「玉置山縁起」によれば、神武天皇ご東征の折、熊野の浜辺に上陸され、八咫烏の案内を得て、大和の地をめざし、その道すがら、玉置山に至りて、身の安全を祈願され「十種の神宝」を奉じたと伝えられています。
降って第十代・崇神天皇が「天下安泰」や「悪魔退散」を祈願され創建されたとも伝えられています。
この神社が世に名を知られる様になったのは、熊野より吉野大峯山に至る修験道が開かれて以来、千三百年の伝統を持ち、豊かな自然と人々の篤い信仰によって支えられています。

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