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えりんじ|臨済宗妙心寺派乾徳山

恵林寺のお参りの記録一覧
山梨県 塩山駅

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千葉ココア
千葉ココア
2021年06月20日(日)144投稿

令和03年06月19日

西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
雨だったせいか人も少なくゆっくり参拝出来ました(^-^)
心頭滅却すれば火もまた涼し。の歴史的に有名なお寺ですね。

※公式ホームページより※
https://erinji.jp/
乾徳山(けんとくさん)恵林禅寺の沿革
恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。 元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。 しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
同6月3日、「本能寺の変」によって信長が斃れて後、徳川家康の手により復興され、また徳川五代将軍綱吉の時代に甲斐国主となった柳沢美濃守吉保の庇護で寺運は発展、柳沢吉保嫡男の吉里の代に柳沢家は奈良大和郡山に転封となるも、吉保夫妻は恵林寺を菩提寺として霊廟をもうけました。
庭園は鎌倉時代、夢窓国師の作庭で、国の史跡・名勝に指定されており、甲府八景「恵林晩鐘」に詠まれています。

恵林寺の御朱印

御本尊

恵林寺の御朱印

マスク地蔵

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断捨離
断捨離
2021年01月03日(日)1439投稿

武田信玄公の菩提寺。
信長の焼き討ちに合い、家康のご加護で復興したと言う、歴史に名だたるメンバーが関係する重い歴史のあるお寺でした。

恵林寺の山門・神門

まず総門(黒門)が厳かに現れます。

恵林寺の山門・神門

長い参道を歩くと家康によって再建された四脚門(赤門)国の重要文化財です。
山号の乾徳山の額が堂々と掲げられています。

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