えりんじ|臨済宗妙心寺派|乾徳山
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楽しみ方恵林寺のお参りの記録一覧
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1330年夢窓疎石により開かれる。
応仁の乱で荒廃したが、甲斐武田氏の菩提寺となり、戦国時代に武田信玄によって再興される。境内に信玄の墓が残されている。
信玄墓は月命日の日のみの公開である。明王殿の裏手に位置しており、月命日以外でも境内墓地の裏の隙間からギリギリ見ることが出来る。
明王殿には武田信玄をモデルとして製作されたという不動明王が安置されている。
武田氏滅亡の後、織田軍に焼き討ちにあう。この時、快川紹喜が残した「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」の言葉は余りにも有名。
戦国時代劇でよく見かける、武田軍の風林火山と諏訪八幡の幟を所蔵しており、宝物館で見学できる。
四脚門が重文指定されている。



甲斐源氏ゆかりの地を巡るツアーで訪れました。
6年ぶり2度目の参拝となります。
6年ぶりということですので前の記憶があやふやなのですが
なんといっても、ここにきたら信玄公と対面で彫られたというお不動さんですね。
拝観し、鴬張りの廊下を歩きながらずらっと並ぶ位牌に圧倒されながら
はい、ついにたどり着きました、武田不動尊。
ニュース等でご存知だと思いますが、調査によると信玄公の晩年の作であるということは証明されたようですが、体毛を塗り込んだことについての調査結果はでていないようです。
まぁそういった逸話も含めてですね、私はこの武田不動尊が大好きで
スマホの待ち受けに設定してるくらいなのですよ。
そしていざ対面!光の当たり具合のせいもあってか、お不動さんも当然言うまでもなくかっこいいのですが、その手前の童子二人がまた最高なんですよ!
そして、胎内くぐり(これ前回やった記憶ないんですが…)なんか下っていく感覚があって腰やらかしたときみたいな歩き方になってしまったのですがなんとか生まれ変わることが出来ました。
胎内くぐりを終えて生まれ変わって出てきたところに徳川幕府の御用人であった柳沢吉保のお墓と、その隣にお堂があります。吉保の肖像画で手前に開いている本が信玄公にまつわる本だとか、それくらい信玄公が大好きだったらしく、信玄公の隣に墓を建てて欲しいといってここに祀られているんだとか(要約)
なんだかんだで甲斐の地を一度も踏むことなく亡くなられて、亡くなってようやく甲斐の地に入ることができ、そして信玄公の隣に居ることが出来たというなんとも胸があつくなりますね。
前にお詣りしたときには二十四将の幟がたっていたのですが今回はなかったですね。まぁ6年も経てばそうなっちゃいますかね。
ちなみに道を挟んだ向かいにある信玄館で昼食をとったのですが
ここは古き良き観光地にあるお土産屋+食堂という感じで
私的にはずっと残っていてほしい昭和遺産だと思っています。


【甲斐国 古刹巡り】
恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。本尊は釈迦如来。甲斐百八霊場第九番。甲斐武田氏の菩提寺。四脚門等は国指定の重要文化財。庭園は国の名勝。
創建は鎌倉時代末期の1330年、甲斐国守護職・二階堂出羽守貞藤(道蘊:どううん)が笛吹川上流の所領牧ノ荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招いて開山。私邸を禅院としたのが始まり。当時は円覚寺派に属し、のち足利義満により関東準十刹の寺格を与えられた。応仁の乱で荒廃するも、1541年武田晴信(信玄)の崇敬を受けた快川紹喜の入山で寺勢を高め、1564年信玄自ら寺領を寄進し、当山を武田氏の菩提寺と定めた。1582年織田・徳川連合君による武田領侵攻により武田氏は滅亡し、当寺に逃げ込んだ佐々木次郎を匿い、焼討に遭った。この時、住持・快川紹喜(かいせんしょうき)が燃え上がる山門の上で発した『碧巌録』偈(げだ)、「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼(安禅かならずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し)」は有名。のちに甲斐国を領有した徳川家康は武田遺臣を庇護し、当寺を再建した。
当寺は、JR中央本線・塩山駅の北北西3kmほどの平地にある。山梨県の観光名所の一つなので、周囲には観光客向けの飲食店が立ち並び、観光バスが集まるバス停もある。境内は広々としていて、立ち並ぶ伽藍も趣があり、古木も多く立っている。有料拝観の見どころは武田信玄を祀ったエリア。伽藍裏手(北側)の国の名勝にもなっている庭園は、枝垂れ桜の巨木が中心のようで、参拝時はまったく花がなく、少し寂しい感じだった(落葉樹が多いようで、冬以外の季節が良いのかも)。
今回は、山梨県の人気観光地、甲斐武田氏の菩提寺ということで参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、家族連れを中心に割と多くの観光客が訪れていた。
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恵林寺は織田信長の焼き討ち事件で有名なお寺で一度訪れてみたいとずっと思っていてやっと叶いました。
天正10年、織田信長による甲州征伐により、勝頼公は自刃、武田家は滅亡します。その後、武田家の菩提寺にして信玄公の廟所であった恵林寺は、織田方の軍勢に取り囲まれて焼き払われてしまいますが、酷いことに、そのおりには戦乱を避けて寺に身を寄せていた老若男女合わせて百人ほどの人々が、山門の上に押し込められ、火をかけられて生命を落としたとされています。
この時、山門の上で、住職であった快川国師(快川紹喜:大通智勝国師)が「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」と唱えられた、と言われています。
恵林寺は1330年、禅僧の夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、その後1564年に武田信玄が菩提寺に定めました。また、江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の側用人・柳沢吉保のお墓があることでも有名です。文化財も多く、とても見所の多いお寺です。
国の重要文化財である四脚門(赤門)、県の文化財に指定される三門などの他に、「信玄公宝物館」には武田信玄にまつわる宝物が数多く展示されています。中でもひときわ目を引くのは風林火山で有名な「孫子の旗」ではないでしょうか。
また、本堂の裏側にある庭園は国の名勝指定を受け、夢窓国師による築庭の代表作として有名です。
本堂の明王殿には信玄の姿を摸刻させたという 県指定文化財「武田不動尊」が安置されています。明王殿の手前にある「うぐいす廊下」は、どんなに静に歩いても音が鳴る仕掛けになっています。ここだけは撮影禁止です
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