えりんじ|臨済宗妙心寺派|乾徳山
恵林寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
【甲斐国 古刹巡り】
恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。本尊は釈迦如来。甲斐百八霊場第九番。甲斐武田氏の菩提寺。四脚門等は国指定の重要文化財。庭園は国の名勝。
創建は鎌倉時代末期の1330年、甲斐国守護職・二階堂出羽守貞藤(道蘊:どううん)が笛吹川上流の所領牧ノ荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招いて開山。私邸を禅院としたのが始まり。当時は円覚寺派に属し、のち足利義満により関東準十刹の寺格を与えられた。応仁の乱で荒廃するも、1541年武田晴信(信玄)の崇敬を受けた快川紹喜の入山で寺勢を高め、1564年信玄自ら寺領を寄進し、当山を武田氏の菩提寺と定めた。1582年織田・徳川連合君による武田領侵攻により武田氏は滅亡し、当寺に逃げ込んだ佐々木次郎を匿い、焼討に遭った。この時、住持・快川紹喜(かいせんしょうき)が燃え上がる山門の上で発した『碧巌録』偈(げだ)、「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼(安禅かならずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し)」は有名。のちに甲斐国を領有した徳川家康は武田遺臣を庇護し、当寺を再建した。
当寺は、JR中央本線・塩山駅の北北西3kmほどの平地にある。山梨県の観光名所の一つなので、周囲には観光客向けの飲食店が立ち並び、観光バスが集まるバス停もある。境内は広々としていて、立ち並ぶ伽藍も趣があり、古木も多く立っている。有料拝観の見どころは武田信玄を祀ったエリア。伽藍裏手(北側)の国の名勝にもなっている庭園は、枝垂れ桜の巨木が中心のようで、参拝時はまったく花がなく、少し寂しい感じだった(落葉樹が多いようで、冬以外の季節が良いのかも)。
今回は、山梨県の人気観光地、甲斐武田氏の菩提寺ということで参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、家族連れを中心に割と多くの観光客が訪れていた。
メイン境内の入口、四脚門から100mほど南にある、「乾徳山恵林禅寺」と刻まれた<寺号標>(右)。
左側の石碑には「武田信玄公廟所」とある。
駐車場を突っ切ると、境内入口の<黒門>。
山門をくぐり、参道を進む。
メイン境内の入口にある<赤門(四脚門)>。徳川家康の再建と伝わる。国指定の重要文化財。
斜めから<四脚門>。扁額には「乾徳山」の文字。
四脚門をくぐり、参道を進む。
参道の右手にある庭園。
参道正面に現れる<三門>。織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられている。
三門をくぐったところから伽藍を望む。
参道の突き当りにある<開山堂>。夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像を安置。
参道の右手にある<鐘楼堂>。
開山堂の右手にある伽藍エリア入口。
入口から入ると、左が<禅堂>、右が<大庫裏>。
禅寺でも珍しい日本有数の<大庫裏>。信長の焼討後、徳川家康が再建、明治時代に火災で焼失、現在のものは明治末期に再建。有料拝観エリアには、この<大庫裏>から入る。
ここから有料拝観エリア。①本堂→うぐいす廊下、②武田不動尊像、③武田信玄公墓所、④柳沢吉保公墓所、⑤庭園(夢窓国師築庭)を拝観できる。
大庫裏から方丈への渡り廊下から<中庭>を望む。
南側の<方丈庭園>。
方丈の扉から内部をのぞく。
方丈の扉の彫刻。
南側の<方丈庭園>。
方丈の西側にある<うぐいす廊下>。うぐいす張りという、人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴るようにつくられている。
この先(写真左手)には<武田信玄公墓所>と<柳沢吉保公墓所>がある。撮影は禁止。
北側の庭園近くにある、<開基二階堂道蘊の供養塔>。
北側の<恵林寺庭園>。国の名勝。
京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名。
庭園の東側にある<小庫裏>。
小庫裏の一室<八街門座敷>。
巨大な<庫裏の鬼瓦>。
有料拝観エリアを出て、開山堂の西側を見て廻る。南側の庭園に入る門。
門と方丈。
南側の庭園の外壁近くにある鎮守社。
開山堂に向かって左手にある<三重之塔>。
三重塔近くから、北西に伸びる<武田不動尊>の参道。
参道の突き当りには武田不動尊へのの門がある。「明王殿」の扁額。
奥には、武田信玄公が生前に対面で摸刻させたという、等身大の不動明王が安置されており、「武田不動」として尊崇されている。
武田不動尊近く、境内西端にある<経堂>。
最後に<開山堂>と<方丈>。
三門の手前まで戻って、庭園そばにある門前そば屋。お腹が空いてきた...(^_^;)
そば屋でいただいた<ほうとう>。(o^―^o)
三門そばの桜の木。花が三分咲きぐらい。
門前茶屋前の庭園。非常に美しい~♪ (^▽^)/
雪の残る恵林寺
とても幻想的
猫との出会いがある1日🐈️
白猫さん
その他の猫さんたちの何匹か姿を見かけました🐈️
境内にあるお団子やソフトクリームの茶屋
近くにあるたこ焼き屋さん
これもお参りの楽しみの1つ🐙🍡
お昼を過ぎても凍った池
この時点から、鳴きながら駆け寄ってくる白猫さん
近くのたこ焼き屋さん
甲州たこ焼き
行きたいかったお寺の一つの恵林寺に行く事ができました。 欲しかった御朱印帳、武田信玄がいたと考えたらテンション上がりました。
また来たいです。
直接記載
御朱印帳表
御朱印帳裏
信玄公のお墓
風林火山
恵林寺は織田信長の焼き討ち事件で有名なお寺で一度訪れてみたいとずっと思っていてやっと叶いました。
天正10年、織田信長による甲州征伐により、勝頼公は自刃、武田家は滅亡します。その後、武田家の菩提寺にして信玄公の廟所であった恵林寺は、織田方の軍勢に取り囲まれて焼き払われてしまいますが、酷いことに、そのおりには戦乱を避けて寺に身を寄せていた老若男女合わせて百人ほどの人々が、山門の上に押し込められ、火をかけられて生命を落としたとされています。
この時、山門の上で、住職であった快川国師(快川紹喜:大通智勝国師)が「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」と唱えられた、と言われています。
恵林寺は1330年、禅僧の夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、その後1564年に武田信玄が菩提寺に定めました。また、江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の側用人・柳沢吉保のお墓があることでも有名です。文化財も多く、とても見所の多いお寺です。
国の重要文化財である四脚門(赤門)、県の文化財に指定される三門などの他に、「信玄公宝物館」には武田信玄にまつわる宝物が数多く展示されています。中でもひときわ目を引くのは風林火山で有名な「孫子の旗」ではないでしょうか。
また、本堂の裏側にある庭園は国の名勝指定を受け、夢窓国師による築庭の代表作として有名です。
本堂の明王殿には信玄の姿を摸刻させたという 県指定文化財「武田不動尊」が安置されています。明王殿の手前にある「うぐいす廊下」は、どんなに静に歩いても音が鳴る仕掛けになっています。ここだけは撮影禁止です
武田信玄公の菩提寺である臨済宗の恵林寺様です。
信玄公生誕500年祭の前であったので空いていました。
素敵な庭園です
ほうとう頂きました
能舞台にて
この近くに地下霊場ありました。初体験です。
限定切り絵御朱印頂きたかったですが…
クリアファイルです
令和03年06月19日
西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
雨だったせいか人も少なくゆっくり参拝出来ました(^-^)
心頭滅却すれば火もまた涼し。の歴史的に有名なお寺ですね。
※公式ホームページより※
https://erinji.jp/
乾徳山(けんとくさん)恵林禅寺の沿革
恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。 元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。 しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
同6月3日、「本能寺の変」によって信長が斃れて後、徳川家康の手により復興され、また徳川五代将軍綱吉の時代に甲斐国主となった柳沢美濃守吉保の庇護で寺運は発展、柳沢吉保嫡男の吉里の代に柳沢家は奈良大和郡山に転封となるも、吉保夫妻は恵林寺を菩提寺として霊廟をもうけました。
庭園は鎌倉時代、夢窓国師の作庭で、国の史跡・名勝に指定されており、甲府八景「恵林晩鐘」に詠まれています。
御本尊
マスク地蔵
毎月の限定御朱印
武田信玄公の菩提寺。
信長の焼き討ちに合い、家康のご加護で復興したと言う、歴史に名だたるメンバーが関係する重い歴史のあるお寺でした。
まず総門(黒門)が厳かに現れます。
長い参道を歩くと家康によって再建された四脚門(赤門)国の重要文化財です。
山号の乾徳山の額が堂々と掲げられています。
さらに進むと三門。
こちらは信長により焼き討ちにあい、快川和尚が最期に残した「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」の言葉が掲げられています。
県の重要文化財
開山堂
夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の三像が納られています。
屋根の下の彫刻
三重の塔
外から明王殿に向かう参道。落ち着いた雰囲気です。
外から見た明王殿。こちらからは入れませんので庫裡から中にはいります。
庫裡入り口の門
庫裡
日本有数の大庫裡です。家康再建後、明治38年の火災で消失しましたが、この庫裡は明治末期のものです。
門をくぐると、大きな屋根の瓦がありました。
庫裡の柱に猫がいました。寝ているような、寝ていないような、、
庫裡に入るとすぐ、大きなかまどがありました。お賽銭箱もあります。
その奥が受付で、拝観料500円を納めて本堂、明王殿に行きます。御朱印もこちらで頂けます。
本堂前の長い廊下
本堂の前は枯山水式の方丈庭園です。
本堂内部
御本尊は釈迦如来様
本堂を横切り、いよいよ武田不動尊が安置されている明王殿です。
太鼓橋
左から入ります。
うぐいす廊下の説明が太鼓橋の右側にあります。
中は撮影禁止です。
どう歩いても音が鳴ってしまううぐいす廊下。
今まで聞いたうぐいす張りの音の中で、一番大きく、綺麗でした。
最近、公開するようになった、柳沢吉保公の墓所
この左から側には武田信玄公の墓所がありますが、近くまではいけません。
本堂の後ろに庭園がありました。
連休最後は信玄の菩提寺に参拝。拝観料を払い見学、見る価値あり!帰りは塩山温泉♨️につかり帰りました。
帰りは塩山温泉で。
アルカリ泉でツルツルになりました。
山梨県のおすすめ2選🌸
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