あかまじんぐう
赤間神宮のお参りの記録一覧
何度も参拝したことはありましたが、御朱印を拝受するようになってからは、初めてのお参りです。
赤い楼門が印象的な神社です。
幼い安徳天皇が海峡に入水されたことを思うと感慨深いです。
耳なし芳一像のお堂「芳一堂」、平家一門のお墓では静かにお線香を上げてお参りしました。写真を撮ることはなんとなく遠慮しました。
ふくのポストは海の色
駐車場からの景色
【長門國 古社巡り】
赤間神宮(あかま・じんぐう)は、山口県下関市阿弥陀寺町にある神社。旧社格は官幣大社。祭神は、1185年の壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇。
平安時代の859年に阿弥陀寺として開闢。1185年の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見されなかったが、1191年に赤間関(下関)に勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼に奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受けた。
江戸時代までは「安徳天皇御影堂」と呼ばれたが、明治の神仏分離令により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。のち「赤間宮」と改称し、官幣中社に列格した。また1889年、歴代天皇陵の治定の終了後、多くの安徳天皇陵伝承地の中から当社境内が「擬陵」として公式に治定された。1940年には官幣大社に昇格し、「赤間神宮」と改称した。太平洋戦争で社殿を焼失したが、1965年に再建した。
当宮は、JR山陽本線・下関駅の北東2.5kmの関門海峡そばの国道9号線沿い、平地の小丘の上にある。当宮にゆかりのある段の裏古戦場は当宮北東1kmの位置にある。境内入口から見える、小丘の斜面に建てられた真っ赤な水天門が印象的。境内は特別広くはないが、社殿は大きく、社務所等も大きくて凝縮されている。社殿周りには境内社のほか、耳なし芳一を祀る芳一堂や平家塚などもあり、見どころは多い。
今回は、旧官幣大社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、家族連れなど多くの参拝者で賑わっていた。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。国道9号線に面している。
鳥居をくぐったところからの眺め。真っ赤な建物が印象的。
中央は<水天門>、左側は<太鼓楼>、右側は<水天閣>。
太鼓楼前の階段を登り切ったところから見た<水天門>。
水天門をくぐったところから振り返ると、エメラルドグリーンの瀬戸内海(関門海峡)がよく見える。
水天門をくぐって右側にある<龍宮殿>(左)と<水天閣>(右)。結婚式や披露宴の文字が見えるので、儀式殿のような建物みたい。
水天門をくぐったところから左手に見える<太鼓楼>。楼上に大きな太鼓が見える。
水天門をくぐって左側にある<手水舎>。
振り返って<水天門>全景。
社殿は階段を上がったところにある。
階段下左側の<狛犬>。中国大連の花崗岩で製作されたとのこと。
階段下右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
よく見えないが、拝殿後ろの<本殿>。
社殿の右側にある<天神社>。
天神社の右側にある<鎮守八幡宮>。
鎮守八幡宮の右側の建物。
奥に注連縄を架けられた古木がある。
境内東端にある建物。神楽殿のようなものかな。
鎮守八幡宮の南側にある建物。臨時授与所かな。
拝殿に向かって左手にある<授与所>。御朱印はこちら。
社殿の左側にあって、社伝に向かって建つ<七盛宮>。
授与所の裏手にある<平家塚>。
平家塚の入口にある<芳一堂>。耳なし芳一を祀る。
<芳一堂>の正面。芳一像がイメージ通りでリアル。
国道9号線の南側の景色。海の色が美しい。
最後に、印象的な南側の建物群。自分的には<竜宮城>のイメージにぴったり。(^▽^)/
(2022年9月の参拝です。)
赤間神宮にて書置きの御朱印をいただきました。
摂社も参拝したのですがコロナ禍もあり御朱印は頂いていません。
亀山八幡宮と同じく関門海峡を望みます。
水天門は竜宮城のような楼門ですね
水天は安徳天皇が水天宮の祭神からとられています。
赤間神宮はもとは阿弥陀寺というお寺でしたが明治時代に神仏分離により赤間神宮になりました。
ご祭神は壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇です。
芳一堂がありこれは阿弥陀寺の名残で耳なし芳一の舞台です。
(下関編終わり)
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