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あかまじんぐう

赤間神宮のお参りの記録一覧(3ページ目)
山口県 下関駅

神祇伯
神祇伯
2019年10月04日(金)
1512投稿

念願の赤間神宮です!!
ちょっと早めにいったら神主さんたちが放鼓とともに朝拝を行なっていました。
いいですね。朝から太鼓の音を聞くとこちらも目が覚めます。

赤間神宮の鳥居

《鳥居と社号碑》

赤間神宮の歴史

《由緒書き》

赤間神宮の山門

《水天門》

赤間神宮の建物その他

《表参道》

赤間神宮の手水

《手水舎》

赤間神宮の建物その他

《大安殿》
元が菩提寺だったため、建築様式は寺寄りです。

赤間神宮の末社

《摂社・鎮守八幡宮》

赤間神宮の末社

《摂社・大連神社》

赤間神宮の建物その他

その隣の祖霊殿

赤間神宮の建物その他

十六菊の真ん中にまた別の花の紋が書かれた素敵な社紋をしています。

赤間神宮の末社

《末社・紅石稲荷神社》

赤間神宮の歴史

安徳天皇は入水する際、崇神天皇から宮中で祀られていた三種の神器を全て身につけており、
勾玉は浮かび上がって源氏が回収、剣は喪失、鏡は岡山で発見され、返還するよう訴訟が起きたりしましたが、折衷案で当社に奉鎮されました。

赤間神宮の像

《耳なし芳一堂》
耳にお経を書き忘れて耳持っていかれた琵琶弾きさんの舞台となっています。
この芳一さんの木像がすごいリアルです。

赤間神宮の建物その他

《安徳天皇阿弥陀寺陵》
安徳天皇の御遺体は終ぞ見つからなかったので、御遺体のない「擬陵」として治定されました。

赤間神宮の本殿

☆チェックポイント!!
大安殿の中に舞楽殿があり、その奥に内拝殿、祝詞殿、神殿と続きます。
この舞楽殿では神楽だけでなく女性による舞楽も奏されます。安徳天皇が舞楽好きだったらしいです。
私と気が合いそうですね。

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あおどん
あおどん
2019年03月12日(火)
94投稿

今を去る八〇〇年の昔、源平最後の合戦に安徳天皇は御歳僅か八才をもって平家一門と共に壇之浦に崩じ給うや 赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬し 建久二年 朝廷は長門国に勅して御陵上に御影堂を建立せしめ給い 建礼門院御乳母の女 少将の局命阿尼をして奉侍の上、勅願寺として永く天皇の御冥福を祈らしめ給う、朝廷の尊崇きわめて篤く文人墨客の参拝亦枚挙にいとまなし
明治維新に至るや阿弥陀寺を廃し 御影堂を改めて天皇社と称せられ 明治八年十月七日勅命をもって官幣中社に列し、地名に依り社号を赤間宮と定め給い、社殿を造営せしめらる。昭和十五年八月一日天皇陛下には勅使を差し遣わされ官幣大社に御列格宮号を改めて赤間神宮と宣下あらせられ、社殿又改造し輪奐の美整いしが 惜しむべし大東亜大戦の空襲を蒙り 神殿以下悉く焼失加ふるに未曽有の敗戦に依り 復興造営は至難を極めしも 本殿祝詞殿以下御復興に邁進、苦節苦闘二十年にして完工、昭和四十年四月御祭神七八〇年大祭を迎え関門の風光に和する社殿の壮麗は昔日に倍し実に陸の龍宮と称えらるるに至れり

平成大改修中でした。
本当は竜宮城みたいな素敵な門が見れるはずだったので残念。
改修が終わったら改めて参拝しようと思います。
壇ノ浦のすぐ近くにあります。

赤間神宮の御朱印

御朱印

赤間神宮の鳥居

鳥居

赤間神宮の手水

手水舎

赤間神宮の本殿

拝殿

赤間神宮の本殿

本殿

赤間神宮の狛犬

狛犬

赤間神宮の狛犬

狛犬

赤間神宮の歴史

八咫鏡碑

赤間神宮の建物その他
赤間神宮の山門
赤間神宮の御朱印帳

御朱印帳

赤間神宮の御朱印帳

御朱印帳

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