うえすぎじんじゃ
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楽しみ方上杉神社のお参りの記録一覧(5ページ目)

上杉謙信、越後春日山城で49歳で急逝され城内に遺骸を鎮祭されていたものが後に米沢城に移されました。それを明治になり上杉神社と称してお祀りしたそうです。
さすが米沢城跡。立派なお堀と広い境内は見応えがありました。

お堀にかかる橋をわたり上杉神社にむかいます。

お堀には鯉
ほとりには鳩






密にならぬよう、草履が間隔をあけて置いてあります。


福徳稲荷大明神



春日神社




愛の前立ての折り紙のカブトも頂きました。

天正6年(1578)3月13日、上杉謙信公が越後の春日山城にて49歳で急逝された時、その遺骸を城中不識庵に仏式を以て鎮祭された。
のち2代景勝公が会津を経て米沢に移封されるに当たり、祠堂を米沢城内に移し、仏祭を厳修されてきた。
明治の世を迎え、祠堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君鷹山公を合祀して上杉神社と称し、明治9年には新たに神殿が建立され、遷座祭を行った。
明治35年、往時の勤皇の功により別格官幣社に列せられる。このとき、鷹山公は新たに摂社として松岬神社を創立して正面濠の外に鎮座。
大正8年、米沢市大火の際、本殿以下ことごとく類焼し、同12年、米沢出身の建築界の泰斗・伊東忠太博士(文化勲章受章者)の設計による現在の神殿を始め一切を竣成した。







































上杉謙信公をお祀りしている神社。
とてもよく整備されています。米沢の誇りなんですね。
お参りの後、俗物の私は売店で買った米沢牛コロッケの美味しさにも感動しました。




「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉鷹山公

米沢 上杉神社 御祭神は上杉謙信公 境内を歩けば謙信公、景勝公、兼続公、鷹山公に出会えます。家紋は「竹に雀」。

羽前米沢 上杉神社

上杉鷹山公

上杉景勝公と直江兼続公 主従像

上杉謙信公

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