くまのじんじゃ
熊野神社山形県 北山形駅
24時間参拝可能
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
湯殿山神社里之宮でこちらの神社の御朱印いただいた後に徒歩で参拝。
大体5分程度で辿り着きました。
一応社務所授与所はありますが、普段は閉まっていて、例祭や大祭の時に開く感じなのでしょうか?
里之宮湯殿山神社から歩いて5分のところにある兼務社の熊野神社。
山形城鬼門鎮護の神社としてお祀りされてます。
社号標
参道を挟んで社号標の対をなすように、御祭神を記した看板が。
御由緒
鳥居は石造りの神明鳥居⛩️
狛犬
社殿
斜めから
隣には境内社の稲倉稲荷神社
社務所
大きな夫婦欅
池には鯉が
一際大きい鯉が住んでいて、まさに池の主といった感じ

熊野神社参拝⛩️ 東北巡礼 山形県⑥
里之宮湯殿山神社から5分かからず到着🚗
境内にはとても大きな夫婦けやきがあり圧巻です✨
山形城鬼門鎮護だそうで、縣社で境内は広々してますが、湯殿山神社が兼務されているそうで御朱印もそちらでいただけます🙏
社号標 縣社
狛犬さん
拝殿
夫婦けやき
本殿
稲荷神社
御朱印書き入れ
里之宮湯殿山神社でいただきます

山形県山形市六日町に鎮座する熊野神社。 2023.4に参拝させて頂きました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、御祭神は須佐之男命、速玉男命。熊野神社の創建は延文3年(1358)、初代、山形城の城主斯波兼頼(最上家の祖)が行蔵院阿闍梨を紀州熊野に遣わし紀州熊野大権現の分霊を城内に勧請したのが始まりとされます。
以来、山形城の鎮守社として歴代最上家が社領150石を安堵するなど庇護し、祭祀は別当となった行蔵院が司りました。特に山形藩3代藩主最上義俊(最上家13代宗家)が篤く帰依、元和7年(1621)には山形城の鬼門(北東方向)に当たる現在地に遷座し社殿を造営し境内地2300坪を寄進しています。
元和8年(1622)、義俊は御家騒動で山形藩57万石から近江大森藩1万石へと移封となり、その後は幕府から庇護され慶安元年(1648)には3代将軍徳川家光が社領150石の朱印状を発布し歴代将軍もこれを追認しました。
古くから神仏習合し熊野権現と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治4年(1871)に現在の社号である熊野神社に改称、明治12年(1879)に村社に列し、昭和13年(1938)に神饌幣帛料供進指定神社に指定され同年県社に列しました。
熊野神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、銅板葺。境内の御神木と思われるケヤキが目を引く存在で、樹高24m、幹周5.7m、信仰の対象になっているようで、根元には小祠が建立されています。歴史












| 名称 | 熊野神社 |
|---|---|
| 読み方 | くまのじんじゃ |
| 通称 | 六日町熊野神社 |
| 参拝時間 | 24時間参拝可能 |
| 参拝にかかる時間 | 10分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| ホームページ | http://yudonosan.jp/publics/index/16/ |
| ご祭神 | 須佐之男命、速玉之男命 |
|---|---|
| 創建時代 | 1358年(延文3年) |
| 創始者 | 初代山形城主、斯波兼頼 |
| 体験 | 御朱印 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ































14
0