御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
圓應寺ではいただけません
広告

真言宗智山派

圓應寺
山形県 北山形駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

山形県のおすすめ🌸

広告

おすすめの投稿

japan-welder-…
2023年10月12日(木)
281投稿

山形県山形市に境内を構える大慈山 円応寺、最上三十三観音第四番札所 東北最大の木造座像観音、東北最大の木造座像観音が在り手入れも行き届いたとても綺麗な寺院でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は大慈山、寺号は円応寺、宗派は真言宗智山派 、ご本尊は聖観音菩薩、最上三十三観音霊場、第四番札所、出羽百観音の一つ、山形城主は代々この観音を崇拝してきたため、毎年沢山の寄進があり、立派なお堂や塔が立ち並んだ。しかし、最上義俊の時になって火災にあい、建物も宝物もすっかり焼けてしまったが、尊像だけは幸いに消失を免れた。又、最上家改易とともに広大な寺領は狭小化し、境内は荒廃した状態が続いた。江戸・貞享三年に真言宗の存了律師が再興を計画して観音堂を改修。更に元禄年間には光有律師が三間四面の観音堂を再建するとともに、寺院の他、宝篋印塔、千体地蔵堂、弁財天堂、鐘楼堂等を整備した。その後、享保五年に当時の住職であった比丘光嚴和尚を中心に、釘一本使用しない木彫の一丈二尺に及ぶ大観音坐像を創作、これを機に本尊はその胎内に秘仏として奉安されるようになった。以後、三十三年毎に本尊直接参拝が出来る御開帳記念行事が行われて来た。弘法大師作とされる約7センチの聖観世音菩薩の前飾りを守護仏としたことが創建の由来といわれ「仮屋観音」と呼ばれた事も在り、大仏の胎内に本尊を安置したため「腹ごもり観音」と呼ばれ、安産や育児にも御利益があると信仰を集めています、歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、癒し処、参拝、最上三十三観音霊場巡り、三十三観音諸願成就、出羽百観音参拝、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。

圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺の本殿
圓應寺(山形県)
圓應寺(山形県)
圓應寺の建物その他
もっと読む
投稿をもっと見る(8件)

圓應寺の基本情報

住所山形県山形市宮町4-16-33
行き方
アクセスを詳しく見る

山形県のおすすめ🌸

広告
名称圓應寺
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号023-622-3937
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.ennouji.jp/

巡礼の詳細情報

最上三十三観音霊場

第4番

御本尊:聖観世音

御詠歌:

おしなべて 仏に結ぶ 円応寺 高き賤しき 頼まぬはなし

詳細情報

ご本尊地蔵菩薩
宗旨・宗派真言宗智山派
ご由緒

大悲山圓應寺
延文元年(1356)、斯波兼頼公が山形城主として山形に入部の際、築城のしばしの間城の鬼門と言われる北東方角に位置した現在地に仮小屋を建て、弘法大師作と伝えられる、自身の兜の前立てとして付けていた聖観世音(五寸の黄金像)を、守護仏として奉安したことに始まる

兼頼公は後に最上家を名乗り、最上家が改易になる元和八年(1622)まで二百七十年年に亘り、歴代の城主は円応寺観音の信仰厚く、多くの寄進とともに立派なお堂や塔が建ち並び、寺領も広大であった。
しかし最上義俊の時代に火災に遭い、建物・宝物等を消失。幸いにも尊像は難を免れたものの、最上家改易とともに衰微の一途を辿ることとなった。

貞享三年(1686)真言宗の存了律師が再興を発意、光有律師と協力して円応寺の再興とともに観音堂の建立に着手。
享保年間(1717~1735)に入り、比丘光厳律師が寺町の住人・宗寿房を助手として、頭・肩・腕など六部分からなる釘一本使わない金箔をまとった木造の大観音坐像を彫刻・完成させた。
1.05mの蓮台の上に座高3mの坐像は東北一の観音像と言われている。
此の完成を機に御本尊は秘仏として胎内に納められ、「腹ごもり観音」として、三十三年毎に「御開帳」されることになった。

平成に入って初めての御開帳(十八年)は、大法要・御詠歌講員による奉詠・稚児行列等が行われた。
開催三日間、山門までの行列ができる多くの参拝者が訪れた。
圓應寺観音はふくよかな眼差しで参拝者を迎え、家内安全・招福除災の他、「良縁・子宝・安産」の観音としても多くの信仰を集めて来た。
当観音は、最上三十三観音第四番札所であるとともに山形三十三観音打ち止め霊場でもある。

一方圓應寺は、昭和五十七年に墓地移転整備事業、五十八年庫裏・鐘楼・山内整備事業を完成。
続いて平成七年、二年半に及ぶ大工事の末、新本堂・位牌堂・客殿が見事に完成し、寺院は一変した。
本堂は寺の創世紀である室町時代の質素と優雅さを併せ持つ「室町風本堂」として設計・建設された。
内陣正面右奥に本尊地蔵菩薩(山形・村山四十八地蔵第四番)、左に不動明王が安置されている。

寺宝として江戸時代の「地獄図絵」「曼荼羅」「涅槃図」「西国各三十三観音像」の他、境内には山形市有形文化財指定・延文二年の板碑、戦時中の拠出を免れた元禄十三年(1700)の梵鐘、最上三十三観音石像、石碑曼荼羅、参道敷石供養碑、
善光寺参りの途中大地震に遭って助かった御礼として祀った善光寺如来、雷神そして寺庭には高さ5mに及ぶ弘法大師修業像が、遙か高野と四国を向いて立っている。

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ