やまがたけんごこくじんじゃ
山形縣護國神社
山形県 北山形駅
御朱印 | 真ん中に山形縣護國神社と書かれ、社紋と社印が押された御朱印です。
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【全國護國神社巡り】(過去の参拝記録)
山形県護国神社は、山形県山形市薬師町にある神社。旧指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は明治維新から第二次世界大戦までの山形県ゆかりの戦没者4万柱。山形県で最も初詣客が多い。
創建は、明治初期の1869年、戊辰戦争で戦死した薩摩藩士10柱を祀るために社殿を造営したことに始まる。1875年には「山形招魂社」となり、以後山形県ゆかりの戦没者を合祀した。1911年に山形県北大火で社殿を焼失したが、1914年に再建、1934年に現在地に遷座した。1939年に内務大臣指定護国神社となり現在の「山形県護国神社」と称したが、戦後1947年から1952年までは「千歳宮」と称し、その後復称した。
当社は、JR奥羽本線・山形駅の北東3km、馬見ヶ崎川の西岸の薬師公園の南東部にある。境内入口の南側は幹線道路の県道19号線に面していて、巨大な狛犬を見つつ、かなり長い参道を北上すると、大きく凛とした社殿が建っているシンプルな構造。指定護国神社らしい風格がある。
今回は、旧指定護国神社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内南端入口全景。非常に広々としている。
参道左側の巨大な<狛犬>。ブロンズ製かな。
参道右側の巨大な<狛犬>。非常に印象に残る。
参道上の<鳥居>。扁額には「護國神社」の文字。
参道の左側にある<山形県神社庁>。
参道を半分ぐらい進んだところ、参道左側にある<社号標>。
参道をさらに進んで、参道左側にある<手水舎>。
手水盤には、生花のキレイな飾り付け。癒されます~♪(o^―^o)
手水舎を過ぎると、参道は石製瑞垣に囲われた神域に入って行く。
参道から逸れて、瑞垣の手前を東方向に進むと境内社<敷島神社>がある。
神域入口左側の<狛犬>。個性的な風貌で、ちょっと西洋風かな。
神域入口右側の<狛犬>。
参道を進んで、左手にある建物。
<拝殿>全景。護国神社らしい、大きく堂々とした拝殿。
<拝殿>正面。
拝殿の左端にある<社務所・授与所>。御朱印はこちら。
授与所前からの眺め。横幅が広い。
境内の外側、東側を南北に流れる馬見ヶ崎川と川沿いの道。光が遊ぶ、美しい景色。(^▽^)/
名称 | 山形縣護國神社 |
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読み方 | やまがたけんごこくじんじゃ |
御朱印 | あり 真ん中に山形縣護國神社と書かれ、社紋と社印が押された御朱印です。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 023-631-5086 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://yamagataken-gokokujinja.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
概要 | 山形県護国神社(やまがたけんごこくじんじゃ)は、山形県山形市にある神社(護国神社)である。明治維新から第二次世界大戦までの戦没者4万余柱を祀る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 明治2年(1869年)1月、戊辰戦争で戦死した薩摩藩士10柱を祀るために山形市八日町に社殿を造営したのに始まる。明治8年に山形招魂社となり、以降山形県関係の戦没者を合祀した。明治22年(1889年)山形市宮町に遷座し、明治44年(1911年)の山形市北大火の災厄で社殿焼失の憂き目に遭ったが、大正3年(1914年)に再建された。昭和9年(1934年)千歳公園内の現在地に遷座した。昭和14年(1939年)の制度改革により内務大臣指定護国神社となり、山形県護国神社と称した。GHQ占領下の昭和22年(1947年)から昭和27年(1952年)においては所在地の千歳公園に因んで「千歳宮...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「山形県護国神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91319277 |
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