ほうじゅさんりっしゃくじ|天台宗|宝珠山
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楽しみ方宝珠山 立石寺のお参りの記録一覧
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【出羽國 古刹巡り】(過去の参拝記録)
立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市大字山寺にある天台宗の寺院。山号は宝珠山(ほうじゅさん)、院号は阿所川院(あそかわいん)。本尊は薬師如来。通称は「山寺」。江戸時代に松尾芭蕉が『おくのほそ道』を著す旅の途中で参拝し、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」の句を残したことで知られる。根本中堂、三重小塔などが国指定の重要文化財。古来、悪縁切り寺として信仰を集める。
寺伝によると、平安時代の860年に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。864年に大師が比叡山延暦寺で死去すると、遺骸が当寺の百丈岩にある入定窟に移されたとされる。その後は安慧(天台宗座主)、心能、実玄といった円仁の弟子たちが境内を整備し、当地域での天台宗普及に尽力した。鎌倉時代になると、幕府の保護と統制を受け、関東御祈祷所となり栄えた。
戦国時代には山形盆地に侵攻した伊達稙宗と天童頼長が衝突した際、当寺は伊達側に加勢し、1521年に頼長により焼討に遭っている。その後荒廃するが、すぐに山形城主の最上家の保護を受け、堂宇を再建、寺領1300石を与えられた。江戸時代の1689年に松尾芭蕉が旅の途中に訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」の名句を詠んだ。
当寺は、JR仙石線・山寺駅の北側300mほどの崖上、立谷川北岸の境内入口から千段余りの石段を登った上にある。境内入口付近に根本中堂、鎮守社・日枝神社、念仏堂、鐘楼などがあり、拝観受付の山門をくぐって山間部の石段を登り、仁王門以降は伽藍が続き最奥(北端)には如法堂奥之院、大仏殿があるという造りになっている。仁王門の崖上にある開山堂、五大堂からの眺めは絶景で、同じ景色を松尾芭蕉も眺めたと思うとワクワクする。
今回は、奇岩佳勝、史跡名所としてあまりにも有名であること、根本中堂、三重小塔が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、おひとり様から家族連れまで、多くの人々が参拝に訪れていた。
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緊急事態も解除されたこともあり、実家の山形へ…
お昼前に山形駅に着き、カミサンは高校時代の友人達とランチへ
私は3時頃に予定があるため、時間の余裕が生まれる。
では、山寺へ…と相成った。
【過去に3回ほど参拝しています】
天気予報は、東京よりも5度低いことは判っていたがやはり寒い。
山間のためなおさら寒いかも…
観光地ということもあり、観光客はチラホラいます。
参道【石段】を登ると根本中堂。こちらで御朱印を頂きました。
一応、ルートに沿って歩き、登山口にきました。案内板を見ると
奥の院まで往復で2時間半かかるとか…
約束に間に合わないので、ここよりも上は諦めました。
登山口の向かいに茶店があり、山形名物の玉こんにゃくがあったので、
久しぶりに、からし大盛りで頂きました【写メ撮るの忘れた…】。



スマホのフォルダ整理していたら過去の参拝記録の投稿忘れがあったので記録として投稿します。
東北四寺回廊のひとつです。
案内版によると
当山は宝珠山立石寺といい通称『山寺』と呼ばれています。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。
当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。
昨日皆様からのステキが50000に到達しました。いつもステキやコメントありがとうございます🙇♂️
山形県のおすすめ2選🎍
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