こうやさんこんごうぶじおくのいん|高野山真言宗
高野山金剛峯寺奥の院のお参りの記録一覧(6ページ目)
高野山には知り合いが多いのに行ったことがありませんでした。今回はどうしても空海上人に会いたくて御廟を目指してやってきました。
極楽橋からケーブルに乗って山上に上がればそこは宗教都市。
人々が高野山の中で街を作り金剛峯寺を中心にそこで生活しています。
ケーブルの駅からバスに乗って奥の院中の橋へ。
本当なら根本伽藍から回るのが筋なんですが、奥の院だけで1日が過ぎてしまいました。
ご存知の通り奥の院では有名武将だけでなく著名人など様々な方の供養塔が乱立しています。
一歩入れば異世界です。
参拝客もいらっしゃるのにシンと静まり返っていて声をあげるのもはばかれる場所に思えました。
人だけでなく、生きとし生けるもの、或いは無機質なものまで供養されている、実に日本人的な霊域でした。
御霊廟の拝殿にしか踏み入れる事は出来ないのですが、内陣の縁まで入れますので塗り香を手に塗りながら静かに入って祈ります。
ここでは空海上人は今も「生きておられる」場所なのです。
後はゆっくり供養塔巡りです(笑)
ここへ入山するおり、「お墓マップ」を渡されます(笑)
それを頼りにあちこちウロウロ。
もう探しきれないほどあってあっという間に日が暮れてゆきます。
今度行くときは必ず根本伽藍へ参ります。
あ、奥の院ほぼ完全ガイドのwebがあったので書いておきます。
御廟橋 こっから先は撮影禁止です。
中の橋 入口
英霊殿
御供所 ここで御朱印が頂けます。
護摩堂
水向け地蔵
汗かき地蔵 世の中の人の苦しみを引き受けているので、いつも汗をかいていると言い伝えられるお地蔵様。
姿見の井戸 井戸の底の水面に自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという言い伝えがあります。暗くなってから覗くのはやめたほうがいいと思われます。
棺掛桜
町石 (20町) 道標として、等間隔に建てられた石塔。鎌倉時代のもの。
弘法大師の腰掛け石
覚鑁坂 密厳堂の付近にある石段。
ここで転ぶと3年以内に死ぬといわれています。石段が普通の階段とはちがって踏面が広く歩きづらいですが、僧の修行のため歩きづらくしてあるのだそうです。
一の橋
左下(新明和工業 慰霊碑 )右上(福助株式会社)右下(社団法人 日本しろあり対策協会 )
宿坊から朝の散歩でお参りしました
納経所に
四国西国の御朱印します
みたいなことが書いてあって
そういうシステムもあるのか
と驚きましたw
印
高野山奥之院
宝珠種子(ユ)
高野山奥之院納経所
墨
高野山
弘法大師
奥之院
高野山の奥の院、ナイトツアーに参加しました。参加者は、外国人25人と日本人15人ほど。お坊さんに案内して頂きました。
奥の院に多数ある五輪塔の意味は、下の石から土、水、火、風、空を表していて、これは、人は死んだら水になり、土に染み込み、やがて海に行く、という意味なのだそうです。
火で火葬されて煙になって空気になり、空になる、という意味もあるのかも。
空海という名前も、そこからきているのでは? と思いました。
空海は、ひらがな、カタカナ、いろはうたもお作りなったそうです。日本の文化の基本の基本を作られた、凄い方だったのですね!
御廟でお参り後、弘法大師空海の気配を感じ、とても驚きましたが、空海はいつも参拝者を御廟橋までお見送りしてくださるとのことでした。納得。
お坊さんの説明を聞きながらのナイトツアー、大変素晴らしい神秘体験でした。空海の凄さを改めて感じ、不謹慎な言い方かもしれませんが、キリストやブッダ、聖徳太子と同じ、神がかった天才だと思いました。
翌日も昼に再度参拝しました。
御廟の前にある灯篭堂地下は、昼しか開いていないので、今度は地下から。
空海は御廟の地下にいらっしゃるので、一番近くに行くことができるのが、この灯篭堂地下になります。
余談ですが、御廟で護摩焚きをお願いした際、対応してくださったの若いお坊さんが、とてもイケメンでした。
奥の院の入り口です。
「五輪の塔」の慰霊碑が多数あります。有名な戦国武将、戦士した方々の慰霊碑、最近では企業のものが多数あります。
灯籠の丸い穴は、一方は月の満ち欠けを表していて、三日月や半月など、様々な形があります。これは人の心を表現しているそうです。対するもう一方は太陽を表していて、いつも丸く照らす仏様の心を表しているそうです。
父の遺志 1の1
盆に実家の仏壇の掃除をしました。父が残した御朱印帳が4冊見つかりました。
その中の1冊は 徳島出身の父が四国八十八霊場巡りをしたものでした。平成19年満願となっていました。
叔父に聞いたところ 四国八十八霊場巡りでは 2巡目3巡目する時に 同じ御朱印帳に御朱印を重ねていくやり方もあるのだとか。
御朱印を重ねて 御朱印を真っ赤にするやり方だそうです。
これを残していたということは きっと私が霊場巡りし始めたことを知り 私にこの御朱印帳に御朱印を重ねろと言うことだったのだと思います。
紹介にもならない個人的な記録ではありますが ホトカミのサーバーに残させていただきます。
四国を巡る前に 高野山にお参りしていました
#高野山 #奥之院
大黒天を祀る。
#大黒天
建仁寺(京都市東山区)で、却溫神呪(ぎゃくおんしんじゅ)という真言を利用したお守りが頒布されていた。
却溫神呪は伝染病を封じる呪文。疫病を運ぶ7尊の鬼神の名前を順番に読み上げて、「早よ行け、早よ行け、長居はするな」と命じるような内容の呪文だ。ジーホーシーブー(十方諸仏)などと唱えるので、中国で成立したとひと目で分かる。
呪文で呼ばれる鬼の名は、アギャニ鬼、ニギャシ鬼など。真言陀羅尼の解説という書籍によれば、彼らの正体は七母天とのこと。根拠は「古徳の相伝」とある。密教大辞典は、大日経疏という書物に「七母天は女鬼」とあると指摘しつつ、結論として否定的。
七母天はシャモンダ、ロウナリ、ベシュヌビ、マラシニ、インナリ、キョウマリ、キョウベイリの7尊。帝釈天やエンマ大王など、天部に属する著名な仏様7尊の妃で構成される。全員、胎蔵マンダラにも登場。
密教大辞典によれば、彼女らは大日経疏にはエンマ天の、理趣経には大黒天の眷属とあるらしい。また、大黒天が七母天を率いてアシュラを倒す説話がある、とも。
却溫神呪経法という修法では、十一面観音または大黒天を本尊とし、七母天の真言を唱えるらしい。
大黒天は元来、ルドラという嵐と疫病の神。私見だが、却溫神呪経法に彼が関わるのも、この点の名残りかもしれない。
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