たまつしまじんじゃ
玉津島神社和歌山県 紀三井寺駅
参拝自由
授与所:08:00〜17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
『紀伊国神名帳』にも出てくる国史見在社の一つです。和歌の神様として有名で、その御神徳から皇族貴族がこぞって参拝しており、『万葉集』など和歌集だけでなく能の演目である『蟻通』の序盤にも触れられていたりと、かなりの確率で出現します。
《鳥居》
朱塗りの両部鳥居です。
《白梅》
もう春が近づいてきています。
《手水舎》
まだ止まっていました。
《表参道と拝殿》
拝殿がどうしても鏡に反射して自分が映るので遠くからになります。
《眷属のウサギ》
👁チェックポイント‼️
玉津島神社においてはウサギさんが神使とされています。これは御祭神の一柱である息長足姫命さまの使いとされており、この神社への合祀も卯の月卯の日に合祀されたことも由来しているそうな。今年の干支なので覇権を握るかもしれませんね。
《和歌奉納一覧》
見事な作品です(よく分かんない)
《根上り松》
伏見稲荷大社以外にもあるんですね。
《末社・金高稲荷大明神》
たくさんお金入ってきそう…
いつもお世話になっておりまs(🤛
《授与所》
御朱印は書き置きです。
《授与品》
芸能上達ということでいただいてきました。
《社紋》
『玉に割菊』紋です。
竈山神社の次は、和歌山市和歌浦に御鎮座する玉津島神社に参拝に行って来ました。
凄く綺麗な神社で、結構参拝客が来ていました。綺麗なロケーションの場所にある神社で創建は極めて古く、社殿によれば「玉津島の神は[上つ世]より鎮まり坐る」とある。第四十五代聖武天皇が即位の年の神亀元年(七二四年)今から一三〇〇年前に玉津島に行幸した際に、山部赤人が[神代よりしかぞ導き玉津島]と讚嘆した如く、風光明媚な神のおわしますところとして崇められていました。
御祭神
稚日女命、息長足姫命、衣通姫命、明光浦霊
御神徳は開運厄除け、縁結び、交通安全、病気平癒、学業成就、商売繁盛、芸能和歌上達
最初の鳥居。駐車場側からの鳥居。
小野小町の袖掛けの塀
道路沿いの鳥居
狛犬
狛犬
拝殿
手水社
拝殿に飾られたウサギ
ウサギ
徳川頼宣高より寄進された石燈籠
同じく石燈籠
根上松
玉津島一帯はまたの名を玉出島ともいわれ、いにしえ島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像され、かの山部赤人の長歌に、「神代より然ぞ尊き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。
玉津島社の創立は極めて古く、社傳によれば、「玉津島の神は、〝上つ世〟より鎮まり坐る」とあります。
稚日女尊(わかひるめのみこと)は、諾・册二尊の御子であり、天照大御神の妹神にあたらせられ、後世又の御名を丹生都比賣神(にうつひめのかみ)と申し上げられています。
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は即ち神功皇后です。 皇后が海外に軍をおすすめになられたとき、稚日女尊が非常な霊威をあらわされたため、皇后これに報われ御分霊を今の伊都郡かつらぎ町天野の地にお鎮め申し上げ、爾来玉津島・天野に一神両所に並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる玉津島に渡御する、所謂浜降りの神事が應永の頃(1429)まで行われました。 稚日女尊を尊崇せられた皇后は後に卯の年月にちなみ、御自身も合祀されることとなりました。
衣通姫尊(そとおりひめのみこと)は、第十九代允恭天皇の妃で絶世の美人であられ、その麗しさは名のとおり「衣を通して光り輝いた」と伝えられ、又殊のほか和歌の道に秀でられたことはよく知られています。 衣通姫尊は、第五十八代光孝天皇の勅命により当社に合祀されました。 これは天皇の御夢枕に尊が現れて、「立ちかえり またもこの世に跡垂れむ 名もおもしろき 和歌の浦波」との一首を詠じられた故事によるもので、これより玉津島の神は、住吉大神(攝津)・柿本大神(明石)とともに〝和歌三神〟の一つとして、朝廷はもとよりひろく一般文人墨客から崇められてきました。 後世、後西・霊元・桜町・桃園・後桜町・後桃園・光格・仁孝天皇の御代においては、「法楽和歌会」と称し、玉津島の神に和歌を奉納する歌会が宮中で催されました。 これら当社に奉納された天皇御宸筆になる御製御短冊は、現在も重要美術品として保管されています。
神社背後の小高い岩山は奠供山(てんぐやま/標高33m、奠・供ともおそなえの意)と呼ばれています。 玉津島はまた奈良・平安朝の聖武・稱徳・桓武三帝にもこよなく愛され、この地を訪れ滞在されました。 所謂〝玉津島行幸〟です。とくに聖武天皇はこの山に登られ、『山に登りて海を望むにこの間最も好し 遠行を労せずして以て遊覧するに足る 故に「弱浜」の名を改めて「明光浦」と爲せ 宜しく守戸を置きて荒穢せしめることなかれ 春秋二季官人を差遣し玉津島の神・明光浦靈を奠祭せよ』との詔勅を発せられ、これにより明光浦靈を併せてお祀りすることになりました。
なお当社のもとの本殿は慶長年間、初代紀州藩主浅野幸長侯が造営されたものでありますが、荒廃甚しく、幸い奇篤者(篠田博之・めぐみ様御夫妻ほか)の御浄財を得て、平成4年秋社寺建築の粹を施しその修復が完成し往時の絢爛たる姿が再現されたものとなります。
名称 | 玉津島神社 |
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読み方 | たまつしまじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 073-444-0472 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://tamatsushimajinja.jp |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主祭神》 稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 《配祀神》 明光浦霊 |
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創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 春日造 |
ご由緒 | 玉津島一帯はまたの名を玉出島ともいわれ、いにしえ島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像され、かの山部赤人の長歌に、「神代より然ぞ尊き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説 |
概要 | 玉津島神社(たまつしまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市和歌浦中にある神社。国史見在社。旧社格は村社。玉津嶋神社とも書かれる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まるという。玉津島は古くは「玉出島」とも称されたが、大阪市西成区玉出には生根神社が鎮座しており、関係があるのか興味深い。 神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発する。これが玉津嶋の初見である。この時同行した奈良時代の歌人山部赤人の詠んだ歌 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る — 『...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 南海和歌山市駅、JR和歌山駅から和歌山バス新和歌浦行きに乗車し「玉津島神社前」下車すぐ。 |
引用元情報 | 「玉津島神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%8E%89%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98377878 |
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