ちせんいん|天台宗|鎧島山
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日本橋日枝神社と道を挟んでお隣にあります。
かつては上野寛永寺の末寺、日本橋日枝神社の別当寺だったそうです。
病を治すという薬師信仰が盛んだった江戸時代から「茅場町のお薬師様」として親しまれていたそうです。
ひっそりと落ち着いた雰囲気でじっと手を合わせたくなる佇まいでした。
そのせいか、お寺の前の路上がビジネスマンたちの憩いの場になっているようです。
本堂
反射で見えないですが、ガラスの向こうに仏さまがいらっしゃいます
かやば町のお薬師さま
天水鉢が区民文化財に指定されているそうです
こちらの方が読みやすい気がして色をいじってみました
クリーム色の案内板です
地蔵菩薩像も区民文化財に指定されています
住所はわかるものの、見当たらず、日枝神社の宮司の方に教えていただきました。
近道として車が入れない裏道でした。かつては確かに、日枝神社の別当で、神仏習合であったなと思わせる道でした。
宮司さま。ありがとうございました。
誰もいないようで、少し寂しい感じがしました。
智泉院は、徳川家康が、 江戸城鎮守の山王日枝神社の神輿が渡る所である山王御旅所を南茅場町に設置した際に、 山王権現の本地佛としての薬師堂を寛永12年(1635)に建立、智泉院がその別当寺として創建したといいます。 江戸時代には病を治す御利益のある薬師信仰が盛んで、 茅場町のお薬師様は特に人々の参詣も多く、他所の仏像開帳もしばしば行われていたといいます。(お寺の説明より)
歴史
江戸時代、徳川家康が江戸城鎮守である日枝神社(千代田区の山王神社)の神輿が渡る所である山王御旅所(日枝神社日本橋摂社)を設置した際に、その別当寺として薬師堂をつくりました。これが智泉院のはじまりです。
明治初年の神仏分離令により、薬師堂、智泉院が独立し、現在地に移りました。
名称 | 智泉院 |
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読み方 | ちせんいん |
通称 | 茅場町のお薬師さま |
電話番号 | 044-866-4573 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/chisenin/ |
詳細情報
ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 鎧島山 |
院号 | 智泉院 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 1635年(寛永12年 ) |
文化財 | 天水鉢(中央区民文化財)、地蔵尊(中央区民文化財) |
ご由緒 | 江戸時代、徳川家康が江戸城鎮守である日枝神社(千代田区の山王神社)の神輿が渡る所である山王御旅所(日枝神社日本橋摂社)を設置した際に、その別当寺として薬師堂をつくりました。これが智泉院のはじまりです。
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Wikipediaからの引用
概要 | 智泉院(ちせんいん)は、東京都中央区にある天台宗の寺院。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寛永12年(1635年)に開山された。千代田区永田町の日枝神社の摂社である日本橋摂社の別当寺として創建された[1]。 当院の本尊の薬師如来は、恵心僧都源信の作で、天海僧正が日本橋摂社の本地仏として勧請したものといわれている[2]。 江戸時代には病を治す御利益のある薬師信仰が盛んで、茅場町のお薬師様は人々の信仰が厚かった。『江戸名所図会』には「薬師堂、同じく御旅所の地にあり、本尊薬師如来は、恵心僧都の作なり、山王権現の本地仏たる故、慈眼大師勧請し給ふといへり、縁日は毎月八日、十二日にして、門前二・三町の間、植木の市立てり、別当は医王山智泉院と号す」とある。 古典落語の心眼で、...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 茅場町駅より徒歩1分。 |
引用元情報 | 「智泉院 (東京都中央区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%99%BA%E6%B3%89%E9%99%A2%20%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%29&oldid=90506838 |
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