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あさひじんじゃ

朝日神社

東京都 六本木駅

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03-3401-5790

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御朱印について
御朱印
あり
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-
御朱印帳
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アルネ
2021年09月12日(日)
313投稿

2021.9.12.曇り時々雨。
六本木駅から歩いてまず向かったのはこちらの朝日神社。
この日は最後に赤坂の豊川稲荷に行きたかったので、メトロ24時間きっぷを買ったのだけど、駅すぱあとに惑わされて大江戸線に行きかけたり、軌道修正して丸ノ内線に乗ったものの霞ヶ関で乗換えを忘れて国会議事堂前でわざわざ日比谷線に乗って乗換えをしたり、しかも目の前で一本逃したりと六本木にたどり着くまでにちょっと珍しいくらい右往左往しました。あまりに激しい方違えで、これって警告?これは、六本木に行かない方がいいということなのでは、、とさすがに不安になりました。
そんな不安を抱えながらもなんとか六本木に到着し、こちらにたどり着いたのでした。
過去何度かここの前を通過したことがあるように思いますが、おそらくきちんと参拝するのは初めてだと思います。
のんびり写真を撮ってたら後続の参拝者が一、二組ほどやってきたので、一旦軽く手を合わせて神前を離れてやり過ごしてから改めて祝詞を奏上しました。

朝日神社の鳥居

駅から歩いて程なく到着。

朝日神社の鳥居

テレビ朝日社屋が少し先にありますが、何か所縁があるのでしょうか。

朝日神社の手水

手水舎。手水鉢に樋が渡されていて、柄杓いらずで手を清められるようになっていました。

朝日神社(東京都)

手を清めようとしてふと近づいてみると…

朝日神社(東京都)

歓迎のサインのクモさんのお出迎え〜。わぁーい、ありがとう〜♪(ほっこり♪)
ちなみに、私の神社参拝では度々クモさんが社殿周辺で出没しますが、いつもクモの巣を張らないこのタイプで、いわゆる住まいを守ってくれる益虫グモです。

朝日神社の歴史

御由緒書き。テレビ朝日とは特に関連性はないようでした。
クモさんは大國主命(大黒さま)の化身だったりもするので、なんだか納得です。

朝日神社(東京都)

社殿は比較的新しくきれいでした。背後に見える森ビル。やや蒸し暑い曇天。12時半前でこの薄暗さ。

朝日神社のお守り

授与所には姿勢のきれいな白髪の男性が詰めておられました。御朱印は直書き対応されているようですが、書き置き希望も快く受けてくださいました。明朗快活な、気持ちの良い対応をしていただけて清々しかったです。
ここの御守はあれもこれも縁起良さそうで目移りしました。特に上段右から3番目の「開運招福」の宝船の御守がめちゃめちゃ縁起良さそうで強烈に惹かれましたが、結局買わずに辞去…その隣の芸能上達や技能上達も夫によさそうだし、左上の金運御守も黄金色の稲穂の刺繍が美しくて、すごくよさそうでした。
今こうして写真で見返しても、どれも作りが凝ってていいな〜と感じます。次回行ったらやっぱり買おう…!

朝日神社の周辺

続いてテレビ朝日稲荷へ…と思ったのですが、お社はどうやら社屋屋上にあるらしく、テレビ局で人の出入りも多そうだし、ここまでの激しい方違えのこともあり、何となくやめておきました。コロナがなければ行きたかったです。

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歴史

当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。
 この増上寺境内の家康公を祀る廟は、安国殿と称された。これは家康公の法号「一品大相国安国院殿徳連社崇誉道和大居士」によるものである。安国殿のご神体は慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像は増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺にに祭るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(どいおおいのすけとしかつ)(のちの大老)の手により駿府から譲り贈られたのである。
 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年五月二十五日の戦火により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。

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朝日神社の基本情報

住所東京都港区六本木6-7-14
行き方

六本木駅A3出口から徒歩3分

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名称朝日神社
読み方あさひじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号03-3401-5790
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.asahi-jinjya.com
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》倉稲魂命,《配》菅原道真,大国主神,大山祇神
創建時代天慶年間(940)9月22日
本殿神明造
ご由緒

当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。
 この増上寺境内の家康公を祀る廟は、安国殿と称された。これは家康公の法号「一品大相国安国院殿徳連社崇誉道和大居士」によるものである。安国殿のご神体は慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像は増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺にに祭るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(どいおおいのすけとしかつ)(のちの大老)の手により駿府から譲り贈られたのである。
 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年五月二十五日の戦火により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。

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