はくさんじんじゃ
白山神社東京都 白山駅
社務所:09:00〜17:00
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楽しみ方御朱印 (1種類)
白山神社でいただける御朱印は1種類です。
白山神社の御朱印

さぁ東京⑫『白山神社』🍁
この日の締め参拝〜御朱印をいただく気満々で向かったのですが社務所は閉まっている 。:゚(;´∩`;)゚:。 時間は16時01分… タッチの差だったようです。後ろから来ていた男子学生さんのグループもガックリしていました⤵️
こちらは紫陽花の名所だし、いい季節にまたおいでってことだと解釈。紅葉に黄葉と楽しんだ1日でしたが、こちらはツワブキがあちらこちらに咲いていて可愛いらしかったです♪
紅葉もいい感じでなんだかオシャレ🥰
で、写真パシャパシャしてなければ右側の社務所は開いていたのだろうか… 1分前まで開いていたような気配は全く感じられなかった🥲
手水舎
バックの紅葉とのコラボがシブい感じ🍁
なかなか素敵な龍神様🎵
ショック癒す可愛いをツワブキ💓
御社殿🙏
日も陰りちょっと淋しい感じの参拝。
気の持ちようですかね…
社務所が閉まっていたダメージが響く😣
お目々も紅葉しているみたいな狛犬さん😄
桜は咲いてないけれど
ツワブキの可愛い黄色にホッコリ😊
境内社の鳥居脇にもツワブキ✨
次は紫陽花を目指して伺います😌
ちょっと残念な〆でしたが…
懲りずに来年リトライ!!
当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(1703)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり。再建せられたるも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。
(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり。)
当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである。
| 住所 | 東京都文京区白山5-31-26 |
|---|---|
| 行き方 | 都営地下鉄三田線 白山駅 から徒歩3分
|
| 名称 | 白山神社 |
|---|---|
| 読み方 | はくさんじんじゃ |
| 通称 | 白山さま |
| 参拝時間 | 社務所:09:00〜17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり 東京十社の一つ |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 03‐3811‐6568 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| 東京十社 |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 菊理比咩命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 天暦二年(948) |
| 本殿 | 権現造 |
| ご由緒 | 当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(1703)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり。再建せられたるも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。
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| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り |
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