ゆしまてんまんぐう
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楽しみ方湯島天満宮のお参りの記録一覧
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菅原道真公を祀った神社として全国的に有名である。
ここ東京都文京区にある湯島天満宮も人で溢れていた。
そもそも、何故に湯島天満宮に行かねばと思ったのかというと、私が働く仕事先で、湯島天満宮の就業御守りが捨てられていたからだ。
誰かが落としたのかな?落とし主が見つけやすい場所に置いたのだが、いつになってもそのままであった。
あ、これは故意に捨てたのであろう。
仕事場の真ん前にある日枝神社に持って行くか?と思うも、谷保検索すると。
基本的にはお守りをもらい受けた神社やお寺へ自らの足で返納し、供養してもらうことになります。 また、宗派の違う寺院や、違う神社へ返納してはいけません。 違う神様のもとに返すことになり、失礼に当たるためです。(知恵袋より)
日枝神社と天満宮は神さまが違うし。まあ、しゃあないな。と、湯島天満宮まで行ったのである。
上野駅から約1㎞。天気も良いし、ウォーキングコースとしては良いと思う。
足を伸ばして本当に良かったと思えた。むしろ、御守りを捨てた人に感謝している。
滋賀県や埼玉県の神社に比べたら面積は小さいものの、ゆっくりと聖なるものに浸れる場所となっている。
天満宮と言ったら梅の花。だが、梅の樹には既に大きくなった梅の実が多数なっていた。
梅干しも販売されていたが、和歌山県産のもので、
「湯島の梅じゃないんかーい!」
とツッコミを入れてしまった。
やはり、ここは、都内に住むどなたかが、ここの梅を使った梅干しを作って欲しいと思うのである。
天満宮と言ったら、牛。
いつまでも脚が守られ、全国廻れますよに。と願うのであった。
最後に、見事な職人技の切り絵御朱印を知っていただければと思う。
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【東京編③】
秋葉神社様から3社目は、湯島天神様へ行きました😊
参拝して御朱印を拝受しに社務所へ行くと、何組かの団体さんが並んでいて時間が掛かりそうだったので今回は御朱印拝受しませんでした😣
【湯島天神】
雄略天皇二年(458年)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355年)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478年)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者•文人の参拝もたえることなく続き、林道春•松永尺五•堀杏庵•僧堯恵•新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872年)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885年)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703年)の火災で全焼したので、宝永元年(1704年)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。
ー湯島天満宮HPよりー

☆表鳥居(銅鳥居)⛩️☆ 東京都指定有形文化財
この鳥居は銅製で、寛文7年(1667年)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。
数度の修理を重ねて維持されてきましたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されました。
鳥居の様式は神明鳥居といわれるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いています。横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。
鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mです。

☆宝物殿☆
この宝物殿には当社本社神輿や、町内神輿をはじめ当宮所蔵の宝物類を展示しています。
現在「梅の日本画」を中心に
刀剣 5口
伊勢神宮の御神宝(須賀利の御太刀)
「紅梅」横山大観
「御手前」伊東深水
「紅白梅」前田青邨
など展示中😊



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