いけがみほんもんじ|日蓮宗
池上本門寺のお参りの記録一覧(5ページ目)
京浜四大本山巡りは、あと総持寺ですね。
広々とした境内は、仕事の慌ただしさを忘れさせてくれる静けさと雰囲気がありました。御首題帳をいただきました。
池上本門寺は、大田区池上にある日蓮宗の大本山の寺院。山号は長栄山。本尊は三宝尊。東国花の寺百ヶ寺・東京4番。日蓮聖人入滅の霊場。
創建は鎌倉時代後期の1282年、病身の日蓮が身延山を出て常陸国に湯治に向かう途中で、武蔵国池上郷の池上宗仲の館に到着し、背後の山頂に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが起源。20日後日蓮が没すると、池上宗仲が広大な敷地を寺領として寄進し、「池上本門寺」の基礎が築かれ、日蓮の弟子・日朗が継承した。
爾後、当寺は鎌倉時代、室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、それ以降も加藤清正や紀伊徳川家など諸侯の祈願寺となって繁栄した。
1945年の米軍による東京大空襲で、五重塔・総門・経蔵・宝塔以外の堂宇を焼失したが、戦後順次復興した。
当寺は、東急池上線・池上駅の北東500mの、住宅地の中にある小山の上にある。広大な敷地に伽藍など様々な建物が並ぶところは、さすが大本山といったところ。
今回は、日蓮宗の大本山ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、地元のご老人衆、階段を駆け上る部活動の若者、一般参拝者から墓参者や信徒まで、いろんな人々が訪れていた。
※後から調べてみると、自分が廻ったのは境内の一部であったことが判明。大どころだと、本殿、多宝塔、日蓮聖人御廟所、大坊本行寺などを見逃したらしい。要再参拝。
境内南端にある、漆黒の<総門>。元禄年間(1688年~1704年)の建立と伝わる。1945年の米軍空襲を逃れた数少ない古建築。
門をくぐると、メイン境内への階段が現れる。<此経難事坂(しきょうなんじざか)>と呼ばれ、慶長年間(1596年~1615年)に加藤清正の寄進によるとされる。『法華経(ほけきょう)』宝塔品(ほうとうぼん)の偈文(げぶん)96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としたもの。地元の運動部の学生らが昇降ダッシュをしていた。
階段を登り切ったところ。
参道を進むと<仁王門(三門)>。旧三門は1945年の米軍による東京大空襲で焼失し、1977年に再建。
仁王門の左手。写真の左手前は<浄行菩薩堂>、その後ろは<日朝堂>、右側は<鐘楼>。
仁王門をくぐると、巨大な<祖師堂>が見えてくる。
祖師堂の手前右側には、まず<水屋>(写真右)、続いて<総合案内所(授与所)>(写真左)。
いよいよ<祖師堂(大堂)>。旧大堂は1945年の米軍による東京大空襲で焼失し、1964年に鉄筋コンクリート造りで再建。御首題は堂内にて。
祖師堂の左側奥にある<経蔵>。方三間裳階付き、宝形造、銅板瓦棒葺、輪蔵(心柱を軸に回転する八角形の書架)形式。18世紀中ごろの再建とされる。
経蔵の右側、霊宝殿との間にある<旧奉安塔の相輪>。1945年の米軍空襲以降、伽藍再建完了までの間、日蓮聖人像と御真骨を格護した奉安塔(現在は解体済み)の相輪部分。
<此経難事坂>を登り切ってすぐ右手にある<日蓮聖人説法像>。高さ3.4メートル 重さ約1トン。
<此経難事坂>を登り切って参道を進むと右手にある<長栄堂>。当山の守護神である<長栄大威徳天>を奉安している。1959年建立。
長栄堂の裏手、墓地の中に建つ<五重塔>。1607年建立。徳川2代将軍秀忠の乳母・岡部の局が、秀忠の病気平癒御礼と武運長久を祈願し建立した。三間五重塔婆、一重、二重本瓦葺、三重以上瓦棒銅板葺。国指定の重要文化財。
今日は日蓮聖人の800歳のお誕生日だそうです。
11時から法要があり13時から法話。
無料で参加したのにおだんごの手土産まで頂戴して恐縮でした。
御主題もちょっとスペシャルなのが頂けました!
池上本門寺。いいお寺さんです。
境内とても広いので総合案内所でマップをもらうと良いでしょう。
イベントも多いようなのでホームページで確認して又来たいです。
めちゃくちゃ達筆の御主題。
御気持ち…とあったので300円お納めしました。
新型肺炎対策が至るところに…
この手ぬぐいかわいい!300縁。
境内で頂いたむじなうどん。
寒かったので熱々のおうどんとお茶が有り難い!
近くのそれなりに有名な梅園に時期的にいい頃かな~と思い行ってきたので 本門寺様にも寄らせていただきました 雨模様の中で参拝に来られている方は少なかったですが普段混み合っている所が静かでまた違った雰囲気が味わえてよかったです^^
本堂
山門
手水舎
寺札
御朱印
近くの 池上梅園案内図^^
紅白 桃色 様々な梅が綺麗に咲いていました 7~8部咲ってところでした^^
新型コロナウイルス退散祈願会 ん~~~ ほんとに早く退散してもらいたいもんですねえ^^;
東京都大田区にある日蓮宗の大本山の寺院。日蓮聖人が入滅された霊跡とのことです。
先の大戦で多くの堂宇が消失しましたが、残った五重塔などは重要文化財に指定されています。
大堂:昭和39年再建
五重塔(重要文化財):徳川秀忠の乳母・岡部局の発願により、1608年に建立
宝塔(重要文化財):日蓮の荼毘所と伝わる場所に建ち、1828年に再建
経蔵:かつては天海版一切経が納められており、1784年建立
総門:江戸時代中期の建造物
表参道の石段は加藤清正の寄進によるものと伝わる
仁王門:昭和52年再建
鐘楼:昭和33年再建。旧梵鐘は、1647年加藤清正の娘で、徳川頼宣の室となった瑤林院が寄進
本殿:戦災で消失した釈迦堂を昭和44年に再建したもの
長栄山大国院本門寺。弘安5年(1282年)の創建と云われています。日蓮宗の寺院で、御本尊は三宝尊です。日蓮入滅の霊場で日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつでもあります。広い境内は仁王門、大堂(祖師堂)、五重塔、日蓮像など見どころがたくさんありました。力道山のお墓があり、お参りする事が出来ます。池上駅から徒歩で約10分。駐車場もあります。
昭和52年(1977年)再建の仁王門
仁王像
仁王像
大堂(祖師堂)
日朝堂
霊宝殿
本殿
経蔵は大田区指定有形文化財
長栄堂
日蓮聖人御廟所
浄行菩薩
浄行菩薩
昭和58年(1983年)建立の日蓮像
鐘楼堂
高さ31.8mの五重塔は国の重要文化財
宝塔は国の重要文化財
手水舎
力道山墓所
力道山胸像
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